お元気ですか、かにかまです。

私のブログを読んでくださる方には、

・本気で生きるとはどういうことなのか
・どこか人生に満足できない気持ちがある
・一生かけてやり遂げたいことを見つけたい

このような人が少なからずいることでしょう。

私自身も、
なめてるやつなりに
悩んでいます。

今回は、
本気で生きる
ということについてなめていきます。



最近、
夏目漱石の『こころ』
を読みました。

父親からずっと前に勧められていて
読めていなかった本です。

結婚しろ、家を継げ。

そんなことばかり押し付けてくる父親の
言うことを聞きたくなかったから
後回しにしていました。

ですがふと、
本当に伝えたかったことは何なのだろう、
父親の価値観を知りたい、
もっと言うと人間を理解したい。

そう思ったことと、
ブログの師匠が時々
文章力向上のために夏目漱石を読んでいる
と言っていたことが気になって
読み始めたのでした。



『こころ』は3部構成となっています。

1部:先生と私
物語は「私」主観で進み、
ミステリアスな「先生」が
描かれていきます。

2部:両親と私
実家に帰った「私」の
背景を描いていきます。

3部:先生の遺書
「私」が東京へ行く汽車の中で
先生の遺書を読んでいる
という状況で、
先生の過去、友人Kのこと
が描かれます。

おそらく、
3部がもっとも書きたかった部分でしょう。



精神的な修養を
生きる目的としていたK。

「火に当たってくださいな」
「いえ結構です」
「寒くないんですか?」
「寒いのは寒いですけど、結構です」

凡人には理解できないところが
多々ありますね。

KはかにかまのKなのだと、
読み終えた今なら思えます。

『だれもわかってくれない』

それは仕方のないことです。
私が高尚過ぎるからですね。

先生にとって、
大切な友人であったK(かにかま)は
最後には自殺してしまいます。

「到底未来が見込めないから」
「もっと早く死ぬべきだったのに
なぜ今まで生きていたのだろう」

先生にとっては
別の意味を持っていて、
大切な友人を裏切ってしまった、
本心を打ち明ければよかった
という後悔を残します。

やっぱり死なない方がいいですね~

K=かにかま
というイメージがあったから、
父親はこの本を勧めたのではないか
と思います。



先生の遺書で
小説は終わっていて、
実際先生がどうなったのか
についてははっきりとは書かれていません。

私は
先生は死にきれずに生きている
と思います。

希望的なところもありますが、
確率は高いはずです。

やり残したことがあるからです。

全編を通して、先生の
「大切な人に本心を伝えられない弱さ」
を感じました。

そこが人間らしさだとも思うのですが。

死のう死のうと思いながら生きてきた、
その理由は大好きな妻。

真実は伝えない方がいい、
本心は理解されないままでいい。

そう思いながらも、
誰かに自分を理解して欲しい、
自分が生きたことが誰かの役に立ってほしい、
という強い気持ちも感じます。

人を疑いながら生きてきた先生にとって、
人を信じるという課題が
まだ解決されていないのです。

諦めて死ねるのか。

私は死ねないと思います。

死にきれずにふらふらしていた先生に
「私」が出会って
奥さんのもとに連れて帰る、
そして人を信じるための戦いを始める
というのが『こころ』の続きだと思いますね。

本気で死ねないことに直面して、
本気で生きてみることを選択する。

それもありなんじゃないかなぁと思います。



今回はあまりなめられなかったですね。
どこかでまだ、
本気じゃない自分がいるからかもしれません。



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