お元気ですか、かにかまです。



読者の方から、
「失敗の受け止め方を教えてほしい」
とメッセージをいただき、
失敗について考えています。



今回は、
私がブログ運営で
失敗したお話です。



失敗から得られるものについても
なめていきましょう。




実はここだけの話、
ブログのアクセス数が
最近調子悪いです。



5月初めからいうと、
PV(ページビュー)は
半分くらいに。



ずっと一位だった検索順位は、
5~6位に。



人生なめてるブログなのに、
「人生なめてる」
のキーワードで検索1位
とれていないんですよぉ!



情けないお話です。



なぜかという原因は、
薄々分かっています。



更新頻度が少なくなったし、
また、書いている記事も
なめている記事よりも
ゲーム、TRPGに関する記事が
多くなってきたから。



グーグルさんに、

このブログはなめてる人の
専門サイトではないな

と判断されてしまったということです。



なめられたものですね。



さてここで改めて、
「なめている」
ということについて考えてみました。



なめられているよりも、
なめている方がいい。



そう思うのはなぜなのか?



思い至ったのは、
サル山のボスザルです。



他人よりも上の立場に立って、
「俺のほうが上なんだぞ」
と思い知らせる行為。



人の言葉ではマウンティングというようですね。



それと同様に、
なめられている自分が嫌で、
なめていきていきたい
と思うのです。



「なめられてはいけない」
という考えは
今までの人生では正しい場面が多くありました。



現場監督をやっていて、
なめられてしまうと
指示を守ってもらえずに
事故が起こりやすくなったり、

なめられているから、
いいように扱われたり。

ただその考えだけだと
しんどいことがあるんですよね。



優秀な友人と付き合っている時、
能力が劣っているために、
どこか自分がなめられているように感じて
しんどくなってしまう。

そして自ら孤独を選んでしまう。



そんなことは望んでいないのに。



あー、はやくサル山になりたい。

だって、
偉そうしているだけでいいんですよ?



「楽」じゃないですか!



失敗から何かを得ようと思った時に、
例えばサル山の構造のように
パターンを知っていると
自分のことを認識しやすいですね。



鉄血宰相とよばれた
オットー・フォン・ビスマルク
という人がこんな名言を残しています。

”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”



ぜひ賢いあなたは
なめてるやつの歴史に学んでください。



私は愚者も賢者も超越した存在なので、
経験からも歴史からも学ぶつもりはありません。

サル山になりたい。




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(なめててすみません)

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自分自身を王様のように
「おもてなし」していきましょう。



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