お元気ですか、
河西数真()です。



フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』読了しました。

アルゼンチンの作家で、
幻想短編の名手と
言われるだけある面白さでした。



ぼくは山椒魚に取り憑かれていたことがある。
植物園にある水族館に出かけて行っては、
何時間も山椒魚を眺め、
彼らがかすかに身動きしたり、
じっとうずくまっている様子を観察したものだ。
今では、そのぼくが山椒魚になっている。

こんな書き出しで始まる『山椒魚』のように、
日常と非日常の境目を
ぼんやりさせてくれる短編集でした。

(南米だとウーパールーパーでしょうけど)
(でもウーパールーパーもサンショウウオ科です)



他にも、
6ページに渡って
セーターを脱ごうとして脱げない描写が続いたりと、
笑える短編もあれば
不思議な気分にさせてくれる短編もありました。



訳者あとがきの言葉を借りれば、
堅固で安定しているように思えた現実世界を
足元から崩してくれるような感覚です。



こういう世界の壊し方もあるのだと、
私は心を動かされました。



さて、
現実世界の崩壊という点で言えば、
意識が発達する際にも
同じようなことが起きているようです。



『インテグラル心理学』によると、
自己の意識段階というのがいくつか分かれていて
今いる段階から抜け出す際、
それは世界が崩壊するようなものなのです。



自己が特定の意識段階と同一化するようになると、
そのたびに、自己は、
その段階を喪失することを、
死として体験するようになる。
自己は、文字通り、ある種の
「死の発作」
に襲われるのである。



例えばそれまで信じていたものが
真実ではなくて、
裏切られたような気持ちになったり、
アイデンティティを喪失したり、

何のために生きているのか
分からなくなってしまったり。

そういった
トラウマになり得る体験を伴うため、
現在の意識段階から抜け出すことは困難
だと言われています。



短編小説によって、
(長編小説でも良いのでしょうけど)
現実世界を少し揺らすことができれば、
比較的苦痛を伴わずに、
意識を発達させることができる
のではないでしょうか。



死を疑似体験するようなものです。



クスリと笑わせながら、
現実世界に疑念を抱かせてくれる。



そんな物語をあなたも読んでみませんか?



フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』



何か取り上げてほしいこと
(ブログ記事などでも!)
よく分からなかったこと
興味のあること
悩んでいること
こんなふうになりたい!
こんなことしたい!
などあれば、
お気軽に返信してください。




ではまた、
自分自身を王様のように
「おもてなし」していきましょう。



メルマガへのご意見ご感想は、
TwitterでDMを送っていただくか、
ハッシュタグ
「#kanikamamm」
を付けてもらえばチェックします。

こちらのリンクから
ハッシュタグ付きでツイートできます。
https://twitter.com/intent/tweet?screen_name=kanikama_jikoke&hashtags=kanikamamm

このメールに返信、
という形でもオッケーですよ!

感想・質問・ご意見などお気軽にどうぞ。
河西数真
Email Marketing Powered by MailPoet