人生をなめていたために、
腐った肉を食べてしまい、
その挙句にお腹を壊し、
ついにうんこを漏らした物語。
何も不自由のない生活。
「でもこのままでいいんだろうか」
漠然とした不安感から
宗教にはまり、自己啓発にはまり、
自傷行為を繰り返していた生活から一転。
自分を認めることで人生を考え直した逆転劇!
かにかまのプロフィール概略
【HN】:かにかま(HNの由来はこちら)
【出身】:岡山(出張で県外へ半年~1年出ることがあります)
【性格】:真面目でおとなしいといわれてきました。
【職歴】:配管工事監督・プラント建設工事現場代理人。
【趣味】:サイクリング・ジョギング・釣り・ゲーム・バイオリン。
【結婚】:未婚。自由に出張できるという良い面もあります(笑)
【年齢】:30代も半ばとなりました。
【好きなもの】:ロードバイク・メバル釣り・モンスターハンター・ジョジョの奇妙な冒険・スラムダンク等
「普通」にあこがれていた日々
はじめまして。かにかまといいます。
中学生の頃の夢は、「普通のサラリーマン」でした。
「夢がないな!」
と友人には言われたりしましたが、それなりの考えはあったのです。
勉強も一流にできるとは言えない、運動も友達が当たり前にできることができなかったりという劣等感がありました。
そして、ちょっと変わり者だった自分。そんな自分でも、ヒーロー(いわゆるすごい人物とか)に憧れて人生に高望みをしてしまう。そんな高望みをするのではなく、「普通」に満足して幸せに生きるんだ。「普通」「当たり前のこと」がありがたいことなんだぞ。
という想いがあったのです。
当たり前のことに感謝する、ということ自体は素晴らしいことだと思います。中学生の頃からそんなことを考えているとは、我ながら感心します。
「普通」を達成するために、高校から部活を始め勉強も必死でした。自分の中で「普通」が高い目標だったのです。
今思えば、人生をなめる土台はこの頃出来上がりました。必死で努力すれば「普通」になれる、だなんて人生なめてますよね。
家庭内に宗教問題勃発
小学生の頃、祖父がビール瓶で祖母に殴りかかりました。
「たすけて!」
祖母に助けを求められましたが、ただただ怖くて隠れていました。情けない男でした。事の発端は、祖父と祖母で宗教が違うことだったようです。
「信じるものが違うというだけで、なぜ争わないといけないのか」
小さいながらも心の中に疑問が残りました。
結局、祖父は家から出ていってしまい、中学生の頃亡くなったのです。
異なる信仰や、異なる考え方。
それらは自分自身の認められない部分でもあります。
自分を認められなければ、他人を認めることもできず、争うことになるのです。
「普通」が難しい
努力のおかげで、大学へ行くことができました。
「頑張ったら、希望の大学へ進学できた。努力は報われるんだ。」
と、希望をもちはじめていた頃、いろいろあってうつになります。
まだ軽いほうだったとは思うのですが、外に出ることが怖くなり、1年程引きこもり生活しました。それまで考えていた「普通が難しい」が悪い意味で現実となったのです。
努力すれば何でもできる、信じて祈れば何でも叶う。
そんな、頭の中お花畑だったこの頃。
『ビジョナリーカンパニー2』という本の中で、精神的な打たれ強さについての調査が書かれています。
戦争で捕虜になった人たちの中で、クリスマスまでには国へ帰れるだろう、と考えていた人ほど打たれ弱かった。つまり、極度な楽観主義者で厳しい現実を見ようとしない人ほど精神的に弱い、ということです。
認めたくないのですが、現実を見ようとしないことで希望を持ち続けている人生なめてるやつでした。
宗教活動への誘い
「かにかま君、今度集まりにきてみない?」
大学に入学したころ、宗教活動への誘いがありました。私は家族がしていた宗教に入会はしていたのですが、それまでは全く活動していません。
「宗教なんて怪しい。おじいちゃんとおばあちゃんのケンカの原因にもなったし・・・」
と思っていたのですが、
「本当のところはどうなのか?」
ということを知りたくて、活動を始めました。
ちょっとした好奇心から活動を始めるのは、人生なめてたからです。ですが、そのおかげで貴重な経験をすることができました。
「殺してください」という祈り
その頃、一人の友人が死んでしまいます。白血病でした。
「自分よりもずっと元気で、思いやりのあるやつだったのに」
ショックでした。
自分よりも将来の可能性があっただろう青年が死に、
「なぜ自分が生きているのか」
自分の人生を信じられず、「殺してください」と祈るようになりました。
さらに、同時期に宗教活動では幹部養成コースで学び、地区のリーダーをしていたのですが、
「お前とはもう関わらない」
「怪しいことやってるんだってな」
と、多くの友人が離れていきました。
その結果、うつにもなり、宗教活動もやめたのです。
しかし、亡くなった友人の
「俺は頑張り過ぎてこんなになってしまったけど、お前はそうなるなよ」
という言葉のおかげもあり、なんとか生きています。
自己啓発しようと思ったきっかけ
そんな状態でもなにか仕事をしなければなりません。引きこもり生活を脱出し、薬を飲みながらなんとか就職しました。
「うつ病で引きこもっていた自分に、普通の仕事が務まるのだろうか・・・」
不安でした。
体力も落ちており、
「ラジオ体操ってこんなにしんどかったっけ?」
そんな自分でもなんとか仕事を辞めずに続けられるよう、自分の能力を高めたいと思ったのです。
「自己啓発しよう」
それは、目標をもって生きるといったためではなく、普通の日々を過ごすための一歩でした。
その頃の自己評価、セルフイメージはとても低かった。そのため、セルフイメージに関する自己啓発教材からスタートしたのです。
そうして自分の「人生なめてる」度を強化していきました。
最近心理学の講座で知ったのですが、こびりついている価値観は、意識して逆転行動をしなければ自然と強化されていくらしいです。
購入金額50万円、月一回の電話サポート
就職したばかりですから貯金はなく、50万円はローンです。今考えたら、普通の日々を過ごすという目的からいうと、高すぎる出費だと思います。しかし当時の私には、「普通」の価値が高かったのです。
「こんな自分が普通に生活できたら満足・・・」
そんな価値観からの行動でした。
サポートとして月一回電話があります。
「どんな時に教材の勉強していますか?」
「ちゃんと続けられていますか?」
といった確認です。3ヶ月ほどして気付いたら電話がかかってこなくなっていました。
まぁ、なんとか仕事を続けられて体力も戻ってきていたので、効果はあったのかなと思います。
お金が貯まったころにやってくる営業電話
「最近どうですか?」
1年~2年経ったころでしょうか。ローンも払い終わり、貯金も少しできたころのこと。教材の案内電話がかかってきます。
「しっかり教材を活かされていて素晴らしいですね」
「今日は潜在意識の力を電話で体験していただきたいのです」
そんな話が続いたあと、新しい教材の紹介です。
その頃にはうつは治っており、この状態を継続したいと思っていたのです。しかし、自分の価値観がかなりぶれていました。
「かにかまさんの状況を聞いて、さらに状況が良くなる教材を紹介したいと思いました」
正直あまり思い出せないのですが、営業に釣られてほいほい教材を購入していたように思います。これは、いけないやつです。
そんな話が2回程あり、手元の教材は増えていきました(笑)
しかも、買うだけ買って大して実践しない、勉強しない、という……
これで最後にしよう
最高峰の教材、ということで最後に購入したものが約100万円でした。最初から最高峰の教材だけ買っておけばよかったのでは、ともいえますが、セルフイメージが低い状態では購入する気にならなかったでしょう。すごく美人な人に会ったとき、
「きれいな人だな・・・でも自分なんて相手にされないだろうな」
なんて気後れして話せなくなったりしませんか。そういうあれです。
ともかく、最高峰のものを手に入れたのだからこれで最後にしてしっかり自分の血肉にしていこうと決意したのです。以後も営業の電話が何度かかかってきましたが、
「今の教材を集中して勉強したいので」
と、流されずになんとか断っています。
教材にかなりのお金を使ってしまったわけですが、そのことを後悔しているかというとそうではありません。その時その時で最終的には自分で価値があると思って購入してきましたので。むしろよく決断したな、と自分では思っています。
その経験があるから、こうして情報発信できるのだと思います。
このように思わされるのが、セールスのテクニックなのかもしれませんが……
と、書いていたのがこのブログを始めた頃です。今ではその教材も大して活用していません。自己啓発って、今の自分を認められなくて、なんとか変えたい、っていう人がはまるんじゃないですかね。自分はこんなやつだ、と思い始めたらやる気がなくなってきました。
ブログに愚痴を書きこむ日々
私は、2010年の11月頃からアメーバブログでブログを書いていました。ちょうど、最初の教材を買って勉強していた頃です。今そのブログを読み返してみると、ネガティブな愚痴であると同時に、
「助けて」
というメッセージのようでした。
日々、言われたことをやるだけで、自分の人生を生きている、という実感がなかったのです。
思いだして、少しブルーな気分になってきました(笑)
学びたいから伝えたいへ
そんな日々の中、少しずつ教材を学び実践していきました。
「自分の人生の目標はなんだろう」
というようなことを考え直していく中で、このままの人生は望んでいないと分かったのです。
すると自然と、転職するための行動をするようになったり、アドバイスをくれる人に会ったりするようになりました。
宗教にはまったり、うつになったりとしてきましたが、自己啓発によって人生まだこれからという可能性を信じて行動できるようになった実感があります。
ただ生きる、のではなく生き生きと生きる、ということを伝えていきたいと思うようになり、このブログを立ち上げました。
まあこれも、「人生なめてる」の強化行動です。
リアルな自己啓発
世の中、自己啓発に関する情報はあふれています。良いもの、悪いもの、効果のあるもの、ないもの様々でしょう。
その中で私が提供できる価値は、現在進行形の「リアルな自己啓発」だと思っています。
宗教活動にはまり、うつ病になり……
そんな、いわば「人生のレールを踏み外した」状態から、目標を見つけて生き生きと生きようとしている。その過程で、考えたこと、学んだことを新鮮な状態で提供していきます。
共に成長していく友人となっていただけると、うれしいです。
人生の醍醐味は自分の限界に挑戦すること
「普通」の人生にあこがれていた私ですが、そもそも「普通」とは何なのでしょうか。私は、「普通」とは他人・世の中の価値観だと思います。
普通に生きるとは、他人の価値観に従って生きることだと気付いたとき、もう一度人生を考え直すことになりました。そして、
「ただ生きるだけでいいのか」
自分に問いかけたとき、人生の充実感は自分の限界に挑戦し、成長を実感することだと思いました。
将来もずっとこのままで生きていくことと、成長した自分が活躍する将来とどちらを選びたいですか?
未来の自分を信じてあげましょう。そこは人生なめていいと思います。
人の歴史は、できないと思っていたことができるようになって発展してきました。自分の未来を信じて行動する人が増えることで、より幸せな世界が近付くのです。
ストイックな価値観がもたらしたもの
そのようなストイックな価値観をもつことで、自己否定しながら自分を追い込む癖がつきました。
鳥の胸肉を腐らせてしまった時も、腐らせるなんて自分はダメなやつだ、罰を受けなければならない。そんな思いから腐った肉を食べてしまいます。これは、自傷行為といえるでしょう。
その結果、盛大にお腹を壊してしまい、寝グソするに至ったのです。
恵まれてのうのうと生きてきた自分、人生なめてる自分。そんな自分を認めることができず、目をそらし続けた結果が、シーツの茶色いシミです。
こんなことを続けていたら、いつか死んでしまう。どんなに結果が出たとしても、それでは成功とは言えない。そんな危機感から、自分の人生を考え直しました。
人生における成功とは
成功の定義は人によって様々と思います。お金持ちになって安定した生活を送ることが成功ともいえるでしょう。
私の考える成功は、常に目標をもって人生を生き、ひとつひとつ目標を達成していく、充実した日々という「過程」です。結果がどうであれ、結果が出ることを信じて挑戦し続けた人生であれば、私は成功したと胸を張りましょう。
だから少々、その「過程」でうんこを漏らしたっていいと思うのです。
模範とする言葉
人は常に己の限界に挑戦すべきである。手持ちの脳力の範囲内に安住していては、人生の醍醐味を味わうことはできないのだ。
ロバート・ブラウニング
目指す世界
認められなかった自分の一部分を認める。日々流されて生きるのではなく、自分の価値観に従って生きる。そして人に価値を与え、感謝されながら、生き生きと人生を満喫できる人を増やしたい。
あと、気楽でありたい。
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