太陽の生まれ変わり

これはかにの妄言であり、ボーイミーツ山椒魚の話である。


 海が見渡せる草原の丘を、二人の少年が駆けていた。爽やかな草の香りがする初夏の風が通り抜け、リネンのシャツをはためかせた。前を行く十五は走りながら振り返り、幼さの残る顔を向けた。

「十七、山椒魚を見に行こう」
「山椒魚? よくわからないけどいいぜ」
「なんだ、山椒魚を知らないのか? 山椒魚ってのはな」

 山椒魚とは太古の海から陸へ生物が進化する過程の、最初期の両生生物だ。ほとんどは体長15cm程度だが、大山椒魚と言われる種は1.5m程度まで成長する。自然豊かで清らかな淡水にのみ生息するとされている。深海に適応した山椒魚がいることは一般には知られていない。

 十七はこの博識な友人を兄貴分のように慕っていた。難しいことは分からずとも、話を聞き、一緒に走っているだけで自分が大きくなったように感じた。

 この日は日が暮れてもまだ走り続けていた。

「なあ、そろそろ戻らないと」
「今日は戻らない」
「どうして?」
「山椒魚に会うからだ」
「……そうか」

 どうして山椒魚に会わなければならないのか、十七には分からなかったが、十五が言うからにはそうなのだろうと思った。

 昼過ぎから走り通しているにも関わらず、十五の足は軽やかだった。しなやかな足運びをみていると、疲れを知らない猫のようだと十七は思った。

「そろそろいいか。少し休もう」

 海の手前まで来ると、そう言って十五は草むらに転がった。十七も同じようにして、空を見上げた。

「十七、あれが見えるか? あの明るい星だ」
「アークトゥルス。去年教えてもらった」
「ああ。地球から見える夜の星で3番目に明るい。ケンタウルス座アルファ星ABの合成等級をなしとすれば」
「冬のシリウス、カノープスに続いて、だろ」
「ふふ。よく覚えてるじゃないか」
「もちろん」
「僕はね、自由になりたいんだ」
「自由に見えるけど」
「いや。例えば僕はこの肉体から出ることはできない。風に、海に、星空に。世界のすべてを愛おしいと思っても、すべてを愛せる器じゃない」
「すべてを?」

 十五は夜空を見る目を、隣の友人へ向けた。

「宇宙初期には、炭素以上の原子はほとんど合成されなかったらしい。原子核の結びつき以上に、太陽のエネルギーが高かったから。第1世代の太陽が崩壊して、発散された水素やヘリウムガスが集まって、第2世代か第3世代かの太陽で重たい原子ができた。それが僕たちの太陽で、僕たちの体は大昔の太陽の残骸からできているんだ」
「俺たちは残骸の寄せ集めってわけか」
「太陽の生まれ変わりだ。そしてその前の僕たちは宇宙と一体だった」

 十五はいろいろなことを知っていた。その年の初めには冬の夜空を見上げて、おうし座の恒星を教えてくれた。一等輝くα星がアルデバラン、右上に視点を移せば肩のあたりにプレアデス星団、おうしの右の角の側にはかに星雲。

 アルデバランを見つけた方角に目を向けてみると、遠くで閃光が上がっていた。馬が駆ける音。潮風がかき消す。

「少し休みすぎたな。行こう」
「どこへ?」
「山椒魚のところだよ」


 飽くなき山椒魚への探究心は、どこからくるのでしょう。きっと心の中の一人の少年が、山椒魚に会いたいと思ったから。宇宙の相転移がただの一点での真空崩壊から連鎖して広がり、泡宇宙となって宇宙を満たしていくように、心の中に山椒魚の泡が広がっています。ああ、心が山椒魚になります。頭の中をたくさんの山椒魚が泳いでいます。脳が宇宙になります。山椒魚が。宇宙が。山椒魚が。宇宙が。山椒魚が。宇宙が。山椒魚が。宇宙が。

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