人は現実のみで生きているわけではない アンチ現実主義者の戯言

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
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私は最近、怒っています。

何に対してと言えば、
「もっと現実的に考えなさい」
「それは仕方のないこと。諦めなさい」
「こうすればいいじゃないですか」
などという、
現実的な問題解決に執着する現実主義者に。

だから、
文句を記事にしてみることとしました。

そんなことをして何になるのクソ記事書くな
と言われれば、

うるせー余計なお世話だ。

まぁ聞いていってくださいよ。

頭にお花が咲いてるの

お気楽脳天気に過ごしていたり、
現実の問題に対して何もせず
ヘラヘラとしていたら、

頭にお花でも咲いているのか?

と、言われる。

そーだよ。
私の頭にはお花が咲いてるの。

たんぽぽから生まれたんだよ多分。

『ソード・ワールド2.5』
というゲームの世界に、
植物から生まれた種族がいます。

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その種族、メリアなんです私は。

多分。

体重が激減 もうすぐ妖精界に帰ります

頭にお花が咲いているから、
光合成して生きていけるし、
食べるのめんどくさいし、

無理して食べれば
胃炎にもなるし熱は出るし……

ということでご飯を減らして
おかゆ生活をしていたら、
体重が激減しました。

55kgくらいあった体重が、
いつの間にか47kg。

体脂肪率なんて6.4%とかですよ。

……おかゆダイエット?

世界から私という存在の
質量が消えていきます……

きっと私は
もともと物質界の住人ではなく、
妖精界の住人だったのでしょう。

そろそろ妖精界へ帰ります。
探さないでください。

さよなら

で、何が悪いのだ So what?

実は私、
妖精界の住人エルフだから、
物質界の出来事には
さほど興味がありません。

体重が増えたとか減ったとか、
筋肉がつかないとか、
お金がないとか彼女にふられたとか、
家族と喧嘩したとか
友達がいなくて寂しいとか、
年をとって体力がなくなってきたとか、
上司が鬱陶しいとか、

……愚かな人間たち。

そんな些細なことで悩むなんて。おほほ。

そんな一般的なことで
本気で悩んだことがなくて、
わりとどうでもいいと思っていて、
なんなら人生もどうでも良かったとして、

何が悪いの?

物質界の住人じゃないですからね。
並の人間の価値観がわからないのです。

失礼遊ばせ。

空想の上では死ぬことさえも喜び

物質界の人間たちは、
生き死にの問題で悩みます。

哀れなことです。

あなたもエルフになればいいのに。

エルフの世界では
死ぬことさえも喜びです。

世界を救うために命を犠牲にして……

仲間の盾になって……

世界の真実を知って狂気に陥って……

己の信念に従って……

エルフになれば、
喜びながら死ぬことができますし
死ぬことさえも喜びとなります。

エルフになりましょう。

人は空想と現実で生きている

何がいいたいのだこいつは?

と、思ったかもしれませんが、
ようするに、

人は現実だけで生きているわけじゃない

ということです。

現実に生きていながら、
頭にお花が咲いていたり、

心に己の妖精界を持っていたり、

理想の死を思い描いたり。

生理的に見ても、
毎日夢の世界と現実世界を
行き来しているではありませんか。

眠ることなく生きている人はいませんよね?

十分眠らなければ
起きていられないように、
人が健全に生きるためには
空想が必要なのです。

人はパンだけじゃ生きていけないの。
現実だけでも生きていけないの。

それでは、
空想とは一体どういうものか?

言葉にしてみましょう。

切なさと”この世ならざる”喜び、そして苦しみ

空想とは、
いわば恋のようなもの。

アニメやゲームや漫画にハマったり、
恋をしたり、
宗教にハマったりする。

それらはファンタジーであり、
空想です。

私たちはその空想の先に
何を求めているのでしょうか?

食べなくても生きていける、

いつも痩せて太ることなんてない、

現実の些事に悩まされることなく、
のほほんと生きていける、

そんな理想の世界を求めているとしたら。

哲学者の苫野一徳さんが、
『はじめての哲学的思考』
という本で、
恋の本質をこう表現しています。

「自己ロマンの投影とそれへの陶酔」

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自己ロマンというのは、
自分の理想であったりあこがれのことです。

現実の誰かに自分の理想を投影して、
その理想に陶酔することが恋
だと言うのですね。

そういった恋の特徴は、
現実離れした
”この世ならざる喜び”と、
同じく苦しみ、
そしてあくまで理想は現実ではない
という切なさ。

空想の先に求めるものが、
あこがれや理想の世界であるのなら、

理想を投影した空想に浸ることは
恋である、
と言えるのではないでしょうか。

空想が恋であるならば。

空想の生み出す喜びが、

美味しいものを食べたとか、
ちょっとお金儲けがうまくいったとか、
よく眠れたとか、

そんな現世的な喜びとは
次元の違ったものになるのは当たり前。

同時に、

空想はあくまで空想であり、
現実世界には存在しない
と心の奥では知っているから切なく、

理想とかけ離れた現実を
時に壊したくなるほど、
苦しみを与えてくれます。

大失恋の苦しみと同じである故に、
空想とは、恋。

エルフの私はそう解釈しました。

現実的な幸せを求めて、それで満足できるのか?

いい年したエルフが恋なんてダサいとか、
もっと現実的に考えなさいと人は言います。

身の丈を越えた恋なんてせず、
現実離れした理想なんて持たず、
現実的にコツコツやっていけば、
それなりに、いわゆる幸せにはなれます。

食べるには困らないし、
叶わない夢なら諦めれば
心は傷まないのだし。

そうは分かっていても、

ロマンを追いかけて人生を棒に振ったり、
行き倒れて死んだりする、
冒険者やならず者のような生き方に
憧れる気持ちはありませんか?

「こんなはずじゃなかった……」

一攫千金を目指し、
お宝を求めて遺跡に潜ったものの、
性格の悪い罠にせめられ、
強力なモンスターに襲われ、

現実に投影していた
英雄のような自分という理想像が剥がれて、
ボロボロになっていくモブ冒険者。

自分は英雄ではないという、
非情な現実を知り絶望の中息絶える。

そんな人生が、
幸せではないと分かっていても、
心のどこかで求めていませんか?

徹底的に自分を破壊したいから、
ロマンを追い求め、理想を追い求め、
ファンタジーの世界に浸る。

理想が高ければ高いほど、
現実離れしているほど、
恋が冷めたときに
傷つくことができるから。

きっと悲惨な最期に自分は笑っている……

なんて。

そんな妄想やめろと
やっぱり人は言う。

たしかに、
空想や妄想をやめて
現実的な問題解決のために行動することは
悪くないでしょう。

お金を稼ぐとか、
彼女を作るとか、
資格を取るとか痩せるとか
楽器を弾けるようになるとか
筋肉をつけるとか。

行動することでなんとかなる問題は
数多くあります。

諦めずにやっていけばいい。

でも問題を解決する喜びは、
恋=空想による
”この世ならざる喜び”
に比べたら、
ひどく無価値に感じるものです。

現実的な幸せだけを求めて、
無事に得られたとしても
それじゃ満足できない。

あこがれのない人生は虚しいから。

現実だけじゃ救われない

それにいくら行動しても、
何ともならない問題もあります。

年をとって体力がなくなるとか、
生まれつき体が強くないとか、
いつかは必ず死ぬとか、
遺伝的に理解力が人より劣っているとか。

そういう問題に対して、
現実主義者たちはこう言います。

「そんなことを悩んで何になる」
「現実を受け入れて、諦めなさい」
「悩むことは休むに似たり」
「さぁ筋トレをしよう」

(このマッチョどもめ)

どうにもならない問題は、
そりゃ現実を受け入れて諦めたほうが
幸せになれるかもしれません。

だけど、幸せだけが人生なのか?

幸せになれるからと言って
諦められるのか?

人間は不条理な生き物です。

理想と空想とロマンの違い

きっと何かが違うはず。

また今度、後で書こう。

あなたが死んでも世界は表情を変えず動き続ける

受け入れようとすれば、
現実は非情なメッセージを
常に伝えてきます。

『世界の統計2020』

からみると、
1年間の世界の死亡者数は、

2018年の推計人口
76億3109万1千人
 ×
2015年〜2020年の死亡率
7.5%
 =
5億7233万1825人(1年あたり)

あああ、なんということでしょう!

統計単位という都合で、
999人までが切り捨てられている……!

そんな現実にめげず、
1日あたりの死亡者数を考えてみると……

推計年間死亡者数
5億7233万1825人
 ÷
365日/年
 ≒
156万8032人(1日あたり)

あああ、なんということでしょう!

世界ではこれだけの人が
毎日死んでいるのです。

この数字にあなたという一人が
加わったとしても、

あなたが
どんなに有名人であっても、
どんなにお金持ちであっても、
誰かにとってとても大切な人であったとしても、
人間たちの数%が悲しんだとしても、

世界は悲しまない。

表情を変えず動き続けるでしょう。

世界は美しいのに、
人の死の前には残酷だ。

そしてあなたは
数多くの死の上に立っていながら
知らない顔をして毎日を過ごしている。

世界とあなたとで、
一体何が違うのか?

何も違わない。

あなたは世界であり、
世界はあなたである。

真実に気づいたあなたは、
1/1d6の正気度ロールを行う。

私の死の直前で、
世界も時を止めればいいのになぁ!!
(正気度ロールに失敗)

3人のレンガ職人の話

と、現実を見ても救われませんが、
空想が現実を変えることもあります。

道端を歩いていると、
ある職人がレンガを積みながら
難しい顔して愚痴を言っています。

「毎日俺はレンガを積まなきゃならねぇ。
暑い日も寒い日も、風の強い日も
雪の日だってそうだ。

一体なんだってこんな目に
あわなきゃならんのだ?」

別の職人が言います。

「壁を作るのはしんどい日もあるが、
どうってことはないさ。

ここじゃ仕事がない人もいるんだ。

仕事があるおかげで大切な家族と
暮らしていけるのさ。

ありがたいことだよ」

さらに別の職人が顔を輝かせながら言います。

「俺達は歴史に残る大聖堂を作っているんだぜ?
誇らしいことじゃないか!」にかっ

筋肉と太陽の種族、ソレイユです。

……

3人のレンガ職人という寓話ですが、
同じことをしていても

どういう理由でしているか、
どういう目的を持っているか

によって人生が変わるというお話でした。

理由や目的。

空想でも嘘でもいいはずです。

>「俺達は歴史に残る大聖堂を作っているんだぜ!」

違うかもよ?

本当は誰かの家で、
大聖堂なんかじゃないかもしれない。

もしかしたら気に入らないやつの家かもしれない。

人が死んで輪廻に還るとか、
生まれ変わってまた巡り合うとか、
天国や地獄に行ったりとか、
煉獄で魂の修行をしたりとか、

そういったことだって、
嘘かもしれない。

けれどそう信じて生きている人もいます。

真実を知るよりも、
嘘でもいいから空想し、
ロマンを持って生きる。

今まで人はそうして生きてきたし、
そういう生き方もかっこいいと思うのです。

かの天才、
アインシュタインも言っています。

空想は知識より重要である。
知識には限界がある。
想像力は世界を包み込む。

寓話から現実へ

それは寓話の話でしょ?
現実は違うでしょそんなことないでしょ。
と、思われるかもしれません。

そこで、
現実の話をしましょう。

私はかれこれ10年以上、
工場関係の現場監督をしています。

保全工事の配管屋から始まり、
派遣で定期修理の応援をしたり、
エンジ会社で建設工事を進めたり。

向いてない、と言われたことがあります。

体力とか精神力とか能力とか、
正直自分でも向いてないと思いますし、
もっとデキる人はいます。(いました)

長時間労働になりますしね。

体も心も人に比べて強くないので、
辛いところはあります。

それでも続けてこれて、
100億を越える規模の工事の
現場を任されるようになったのですが、

それはロマンがあったからだと思います。

工場建設にロマンを持ってしまったから。

かつては化学の研究をしていましたが、

研究には挫折して、
それでもものづくりに関わりたくて
たどり着いたのが工場のメンテでした。

タイトな工期に、厳しい予算。

そんな中でも仲間と協力して、
先輩に助けられ、いじめられ、
職人さんたちに怒鳴られ、助けられ。

ギリギリの日々を
なんとか乗り越えていく中で、
静かに、微かに実感するのです。

現場こそが私の居場所だ、と。

挫折し、絶望し、傷ついた私の心は
仕事で癒やされたのです。

それは工場があったからこそ。

工場を作ることでいつか、
かつての私のように
癒やされる人がいるはず。

そんな理想の工場を夢見て
私は明日もアビスへ身を投じます。

世界は救いにあふれている

工場建設の他にも、
傷ついた心を癒やすものはあります。

死ぬという現実を前にした時に、
信じられるものがあるという意味で宗教や、

ヴァイオリンの音色や、

夢中になれるスポーツ、ゴルフ。

アニメやゲームや小説。

その辺に転がっている心理療法や、
どこの誰が書いたかもわからないブログなど。

世界には救いがたくさんあるから、
生きる理由もあるし、
死ぬ理由もあるのだと思います。

あなたが生きる理由は何でしょうか?

また、死ぬ理由は何ですか?

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