アニメ『どろろ』 生き抜こうとする力

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
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手塚治虫さん原作のアニメ、
『どろろ』
全24話を一気にみました。

主人公は百鬼丸と名付けられた男。

国の領主の家に生まれるのですが、
領主=父親が鬼神と取引をしたために
目、耳、鼻、手、脚、神経など
体のほとんどを奪われて生まれてきました。

見えない、聞こえない、
何も感じない。

「そんな状態では生きていくのも地獄だろう。
生きていけるわけもないだろう」

と、考えられて
産婆によって川に流されてしまいます。

が、いざ流そうというとき、
何も持たず泣き声もあげられない赤ん坊が
必死に息をして生きようとしている。

その姿をみて、
本当は川に沈めて流す予定だったのを
小舟にのせて流しました。

「あとは運しだいだよ……」

その赤ん坊が拾われて大きくなって
鬼神を倒せば体を取り戻せると分かり、
人と出会いながら鬼神を倒して行く
という物語です。

母として生きるのか、領主の妻として生きるのか

手足もなく、皮膚もなく
生まれてきた赤ん坊をみて
周囲の人はぎょっとして
父親は産婆に赤ん坊を殺せと指示する。

そんな中、母親は
「儚く愛おしいと思うのです」
と、我が子を抱きとめました。

ですが無理やり引き離され、
あの時手を離すべきではなかった。

と、後悔しながら生きていきます。

その一方で、
大きくなって体を取り戻していっている
百鬼丸と再開した時、
突き放してしまいます。

百鬼丸が体を取り戻すことで、
貧しく争いに巻き込まれた国に
戻ってしまうことを知っていて、
領主の妻として応援することはできない
と、考えたからでした。

是か非かを問う間違い

世の中にはこうした、
自分の気持ちと立場が対立していたり、
あちらを立てればこちらが立たず、
というような状況があります。

トロッコ問題という
多くの人をを助けるために
一人を犠牲にしてもいいのか
という倫理上の問題があります。

トロッコがこのまま進めば
5人が轢かれて死ぬ。

レバーを操作すれば
5人は助かるけど、
分岐したレール上にも
1人いるのでその人が死んでしまう。

その状況で、
レバーを操作するのは是か非か。

という問題です。

悩ましい問題ではないでしょうか。

5人を助けるためとはいえ、
自分の操作によって
1人を死なせることになるのですから。

最近読んだ哲学の本によると、
こういった是か非かを問う問いかけは
ほとんどが偽問題だといいます。

偽問題の答えを出そうとすると、
不幸にしかなりません。

絶対に正しい答えなんて出ないのですから。

対立を解消するとはどういうこと?

あちらか、こちらか、
の対立を考えると不幸にしかならない。

大切なのは対立を解消すること。

とはいっても、
対立を解消するとは
どういうことなのでしょうか。

対立する人同士が、
言い争いをしたり喧嘩したり、
逆に距離をとって付き合いを避けたり、

どちらか一方が
我慢して付き合っていったり。

そういう状況ではなく、
分かり合えないことを前提として、
どこまでなら納得し合えるかという
共通了解を見つけようとすること。

あちらか、こちらか、
ではなく、
あちらも、こちらも。

そんな答えにたどり着くために
哲学対話というものがあります。

しかし、
ただ対話しようとするだけでは
いくつかのワナにかかってしまい、

相手を言い負かそうとする議論

あるいは、

自分を否定する考え

にしかならないでしょう。

対話するときのワナにかからないコツと、
対立を解消する手法は、
自分の中での葛藤を統合するのにも
役に立つものです。

哲学対話のコツと、
対立を解消する手法について
メルマガでお伝えしようと思うのですが……

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と感じる人もいるかもしれませんので、
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