TRPGテキセ ソード・ワールド依頼失敗した時の楽しみ方

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
アセンブリック教のご紹介はこちら。

「GAME OVER」
となった時、
あなたはどう感じますか?

アナログゲームで、
サイコロを使って
GM(進行役)と
会話しながら進めていくTRPGにも

ゲームである以上、
失敗やバッドエンドはあります。

もちろん、人生にも。

コンピューターゲームなら、
リセットしてセーブポイントからやり直し
ができますが、
TRPGや人生では
そういうわけにいきません。

TRPGのセッションというのは、
集まった人とシナリオで
その場限りのものなのですよね。

できればハッピーエンドがいいけど、
避けられないバッドエンドなら、
それを楽しめる方がいいと思いませんか?

この記事では、
私が楽しめなかったセッションから、
楽しめるとはどういうことなのか
を考えていきます。

ファンタジー世界で冒険失敗

最近友人とやっているのは、
『ソード・ワールド2.5』
というTRPGです。

オンライン上で、
テキストチャットでやっています。

友人がGMをするセッションで、
冒険の目的は
鳥に誘拐された子どもたちを助け出す
というもの。

町で冒険者パーティーとして
依頼を受けます。

5人のパーティーで挑みましたが、
子どもたちを助け出すことはできず、
依頼に失敗しました。

餌にされてしまったようです……

他の人達は楽しめるのに自分は楽しめない

同じパーティーの他の人達は
依頼に失敗しても
それなりに楽しかったように見えました。

テキストチャットなので、
顔は見えないのですが。

一方、
自分は楽しくないと感じました。

なぜだろう?

冒険だしゲームだし、
失敗する可能性もなければ
スリルがありません。

ゲームオーバーや依頼失敗がないのなら
それはゲームではなく、
小説や映画や即興劇のような
別のエンターテイメントです。

それは分かっていますし、
別のセッションでは
依頼に失敗しても
バッドエンドでも楽しめました。

一体何が違ったのでしょう?

もっとうまくやれたはずなのにという後悔

サイコロを振って判定するゲームですから、
出目によっては
どうしても失敗することがあります。

理不尽さはあるかもしれませんが、
運によるものなので仕方がないと思えます。

一方、
自分たちの行動選択による失敗。

行動については責任を取りたいし、
結果として失敗となっても、
納得感はあります。

でも、
他のパーティーは成功していたり、
あそこを調べておけばよかった、
二手に分かれなければよかった、

など、ちょっとしたことで
別の可能性が見えてくると、

もっとうまくやれたはずなのに

という後悔が生まれます。

その後悔は、
楽しさを越えていたりする。

そうなるともう楽しめません。

これが人生の最期だったとしたら
どうでしょうか?

闇。

プレイヤー経験値が足りていない?

行動選択には、
プレイヤーの経験値が影響します。

それは状況を判断したり、
文章の意図を正確に理解したり、
説得や交渉の技術だったり、
データの把握だったり、
世界観の理解度や背景知識、
自分の考えを言語化して伝える能力、
推理力や、パターンを知っているか、
などです。

シナリオの難易度によって、
要求される経験値は変わるもの。

なのでしょうが、私は
GMとの知恵比べ、脳内当て
のようになっていると感じました。

テキストチャットだからか、
齟齬がものすごく生じるのですもの。

TRPGの本来の目的は
一緒に楽しむことですが、
レベルが違う人とは楽しめないな……
と感じてしまいます。

それが悲しい。楽しさ以上に。

じゃあ自分はどうしたいのか?

後悔や悲しさの裏側を考えてみると、

人生の最期に後悔したくないし、
齟齬なくコミュニケーションがとれて、
一緒に楽しめたらいい。

楽しむための解決策はあるでしょう。

例えば
プレイヤー経験値を積むこと。

でも、
元々持っている才能とか、
IQによって
どうしても無理なところがあります。

アルコールを飲めない人が
お酒を楽しむことはできないようにね。

もう一つ、
建設的な解決策があるのですが、
それは別記事で書きたいと思います。

 

楽しめることが多く、
なんでも楽しめるほうが
きっと人生は楽しい。

でもそれは、
人に合わせて無理矢理
楽しいと思い込むのではなく、
楽しめていないことを認識する必要がある。

その裏にこそ、
自分はどうしたいのかという欲があるから。

そう考えると、
楽しめていないという現状から
学びもあるし楽しみも生み出せます。

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