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子供の頃のように夢中になるために

なめてる哲学

お元気ですか、かにかまです。
かにかまって何?⇒プロフィールはこちら。

あなたは最近、
子供の頃のように夢中になったこと
って、ありますか?

取り組んでいたら
いつの間にか時間が経って

「あれ、もうこんな時間?」

という経験は?

そういえば最近、
子供の頃のように
夢中になることないな。

本気で生きてない気がする。

そんなあなたに必要なのは、
「遊び」です。

実は、
本気で生きることには
「遊び」が関係しているのです。

というより、
遊びじゃなければ本気になれないのが
人間なのではないでしょうか?

仕事じゃないんだから本気でやれ!
という言葉もありますしね。

今回は、
遊びについてなめていきます。

ツンデレな読者様

「自分は人生なめてるのでは?」
と、悩む方に向けた
メールマガジンを発行していますが、

真面目なメールを書いた時、
なめて書いたメールよりも
反応をいただきました。

「人生なめてる」
とか言っている割に、
真面目なことが好きなんですね。

このツンデレめ!
(愛情表現です)

ツンデレなあなたに、
ツンとデレの間で
遊ぶことをお伝えしましょう。

人間の本質は「遊ぶ人」

最近はTRPGという遊びに
ハマっていますが、

TRPGについて調べていく中で、
教育とTRPGの関係について
研究している人に出会いました。

佐久大学信州短期大学部の
三池克明さんという方です。
論文はこちら。

図々しくも三池さんに
メールを送りまして、

「TRPG関連のおすすめ情報を教えて下さい」

と聞いてみました。

教えていただいた情報のひとつが、
こちらの本です。

ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』

この本によると、
人間の本質は、「遊ぶ人」
なのだそうです。

難しいことは
分かりませんでしたが、

人が戦争をするのも、
宗教を信じるのも、
芸術や文化を作るのも、全ては

遊びに始まり遊びに終わる

遊びはすべて、
なによりもまず第一に
自由な行為だ。
命令された遊びは、
もはや遊びではありえない。

『ホモ・ルーデンス』より

といったことが書いてあります。

一方で、

成年に達し、
責任能力を持った大人にとって、
遊びはしなければそれですむであろう
といった程度の一つの機能である。
遊びは余計なものなのだ。

『ホモ・ルーデンス』より

ともあります。

遊びとは、
クソの役にも立たない、
不要なものなのでしょうか?

人間の本質はクソなんでしょうか?

遊びは「生きている」という実感をもたらしてくれる

99%の無駄を捨てて、
1%に集中する方法
本質的な生き方を説く、
『エッセンシャル思考』
という本にも、
「遊び」について書いてあります。

遊んでいるとき、私たちは
もっとも純粋な形で人間らしさを発揮し、
自分らしさをさらけ出す。

最高の思い出や、
「生きている」
という実感をもたらしてくれるのは、
遊んでいる時間だ。

ーーー中略ーーー

遊びは本質を探求するのに
役立つだけでなく、
それ自体がどこまでも本質的である。

『エッセンシャル思考』第7章より

クソの役にも立たないものなのに、
夢中になってしまう、
そこに人間の本質がある
だなんて、不思議ですね。

でもよく考えれば、
機械と生き物を分けるのも
「遊ぶかどうか」
かもしれません。

命を持ち、
生きているからこそ遊ぶ。

では遊びとは何なのか。

ある美術教師がいうには、

親指を描くなら、
親指の周りの空間を描きなさい。

遊びについて理解しようと思うなら、
遊びの周りを描いてみましょう。

4つの遊ぶために必要なもの

遊べないときとはどのようなときでしょう。

  • お金がない
  • 時間がない
  • 心にゆとりがない
  • 体が疲れている

以上のようなとき、
遊んでいる場合じゃない
と考えますよね。

心のゆとり
人生をなめていけば
持つことができます。

また、
お金も時間もあって、
体も元気。

そんな状態が
遊ぶためには必要なのだと思います。

ということで、
本質的な生き方を目指して
人生をなめることで
遊びを追求する
「なめてる会」
を作ることにしました。

Discordというチャットで活動します。

もちろん参加は無料ですし、
Discordの利用も無料です。

以下の「Connect」ボタンから
参加できると思います。
(参加できなければご連絡ください……)

一緒にTRPGで遊びたいですし、
お金や時間や健康についても
お話できたらなと思っています。

最後に再び、
『ホモ・ルーデンス』より。

「創作の才能を持つ精神は
冗談と真面目の境目で遊んでいる」

遊びと真面目の対立は常に流動的だ。

遊びの劣等感は
真面目の優越感の中に食い込んで
その境界線を引いている。

遊びは真面目に変わり、
真面目は遊びに変わる。

ツンとデレの境目で遊びましょ!

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