曖昧にmy自己肯定理論

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
アセンブリック教のご紹介はこちら。

メンタルが不調な時には、
自分のことを責めたり
否定したりしがちです。

私ってどうしてこうなんだろう……

ダメな奴だ
人生つまらない

生きている価値無い……

そういうネガティブなことを言うと
世の中からも否定されがちです。

「聞いてるこっちまで悲しくなってくる」

などと。それを聞いて、

周りの人にも悪影響……
やっぱり私は人と一緒にいちゃいけないんだ

この世界に存在する権利がないんだ

と、自己否定のループに入る。

そんな時こそ本当は、
メンタル不調な自分を
認めてあげることが大切
などと言われています。

でも、
そう簡単に認めることはできない。

なぜなら不調で困っているのは
他ならぬ自分自身なのだから。

働かざる者食うべからずだから。

この記事では、
メンタル不調な自分を肯定するための
my理論をお伝えします。

メンタル不調な方が世の中面白くなる

どうしてメンタル不調でも良いのか?

それは、
メンタル不調な方が
世の中が面白くなるからです。

ゲームのキャラ設定を
考えることがありますが、
いい感じに心を病んでいる方が
面白いキャラができます。

例えば以前お話を書いたキャラ。

シャル・内宮・リンゼイ - ゆとシートⅡ for DX3rd - ゆと工公式鯖
性別:女 年齢:17 ワークス:レネゲイドビーイングB シンドローム:サラマンダー

このキャラは、
西遊記に影響されて
人を理解するために
西……関西を目指しているのですが、

→なんで西遊記なの?
→なんで西を目指すのが人間となるの?
→なんで西が関西なの?

視野が狭くて、
論理が飛躍していて、
他の人には理解できない。

心を病む人の考えってこんなものです。

健全な人から見れば、
なんでそんなことで悩んでいるのか、
全く分からない。

理解されないから余計に苦しい。

でも傍から見れば、
ぶっ飛んでいるようで面白い。

全力で間違った目標を目指す姿は、
滑稽ではあるけど
良いエンターテイメントです。

くだらない現実の日常に、
良質なエンターテイメントを
提供できるなら
それは世の中を面白くしているし、
メンタル不調でも良い理由になります。

別に好きで生きてるわけじゃない

間違った目標を目指すといえば、
何十年と生きているとふと気が付きます。

好きで生きてきたわけじゃない、
生きることも食べることも
そんなに好きじゃないけど
仕方なくやってきたことに。

気がついてしまえば、
人生どうでもよくなってくるし
食事もどうでもよくなってくるし

ふと食べることを忘れたり
腐った肉を食べてしまったりします。

メンタルを病んで、
視野を狭くして
本当に好きなことなど気にせずに
食べることが好きじゃないなんて
気が付かずに、

間違った目標を全力で
目指せる能力を身につけたほうが
きっと人生は豊かになります。

真実をごまかすために
私たちは心を病むのです。

それは心の防衛機制。

闇に潜む者たちに対する
人間としての戦い方。

あぁ、窓に!

壊れゆくこの世界で

私たちは生きています。

生きることも食べることも
別に好きでやってきたわけではない。

むしろめんどくさい。

それでも今まで
好きでもないのにやってきた。

よくがんばりましたね。

これからは、
心の声に、
全細胞の声に従っても良いのです。

どこまで心を壊して生きていけるか、
開き直ってチャレンジしていきましょう。

限界まで心を壊すチャレンジ。

そういうことをしようとすると、
自分の未来が見えてきます。

エラー - NHK

全国に100万人以上いるという、
引きこもりの一人になって
無気力になって何も食べず、
豊かな日本で孤独に、
栄養失調になって衰弱死する。

そんな未来が待っているんだから、
心を壊すチャレンジなんてやめよう
とはなりません。

死んでしまっては
それ以上心を病むことはできませんので。

全力で踏み込もうとした時に、
不安要素があると
ついつい踏みとどまってしまうものです。

となると、
全力で心を壊すためには
引きこもって無気力になっても
生きていけるというか、
死なない対策を考えておく必要があります。

死ななければ安心ですもんね。

記事で紹介されている男性は、
最後まで自分で何とかしよう
と、もがいていたように思えます。

支援を断っていたようですから。

ただ支援を受け入れていれば、
人からの助言を少し聞いていれば、

死ぬことはなかったのかもしれません。

でもそれでは、
自分が壊されてしまう。

そのように思って
殺されそうになった動物が
全力で抵抗するかのように
支援を断っていたのではないでしょうか。

いえ、わかりませんけどね。

ただ、
自分を壊すのはあくまで自分。

他人に壊されるのは我慢できない。

支援を断れば死ぬかもしれない。

けれど、
死よりも恐ろしい何者かが
日常に潜んでいる……

あぁ、窓に!

心を病めば生きていられる

ふざけたように書いていますが、
当事者は本当に大変でしょう。

もしかすると、
自分でなんとかできるはず
と思い込んで、

でもなんともならなかった

という現実を受け入れることができず、
支援を断っていたのかもしれません。

わかりませんけどね。

でももしそうだったとしたら、
そういう時に役に立つのは、
心を壊すこと。

先ほどの記事の中で、

長寿介護課…80代の母親を施設に入所させたことで関わりが途絶えた
障害福祉室…心身の障害がなければ支援の方法がない
生活保護室…本人が受給を希望しない限り動き出せない

という言い訳により、

バレーボールでお見合いして
選手たちの間に落ちるように
制度の狭間に陥り、行政では
どの部署も助けに乗り出すことが難しい。

そんなことが書いてあります。

”心身の障害がなければ”

……

心を病んでいれば、
支援を受けて生きていられたのでしょう。

心を病んでしまえば、
健常な人に比べて
できないことが多いのは当たり前。

自分ではなんともできない現実も
受け入れることができます。

だって心を病んでいるんだもん。

時に厳しい現実に直面した時、
人には諦める理由が必要です。

だから心を病むのです。

あぁ、窓に!

壊れた心とスペアパーツが世界を動かす

諦める理由を手に入れても、
諦める必要はありません。

アメリカの歌手、
ブルース・スプリングスティーンが
歌っています。

壊れた心とスペアパーツが世界を動かす

世界の歯車にもなれない
スペアパーツでしかない私たちが、
世界を動かすことができる。

それは壊れた心があってこそ。

壊れた心は空想を求める。

現実世界は変えられない
かもしれないけど
空想の世界は動かせる。

そして、いつか。

空想の世界を広げていけば
現実の世界にも影響を与える。

そんな空想をしても良いと思います。

自分だけの世界は空想の中にあり、
空想の中から現実に飛び出してきた何かが、

現実にないものが見えても……
あぁ、窓に!

心が壊れるのはあたりまえ

生きているものはみんな壊れていきます。

心だって生きているのなら
壊れるのはあたりまえ。

あたりまえ あたりまえ
あたりまえ体操〜

そして心も壊れたがっています。

それはまるで、
遺伝子によって生物の細胞が
壊れることを決められているように
自然な流れです。

みんな気がついていないけど、
心が壊れていない人などいません。

そう、真実に気がついていないだけ。

この世界は壊れたがっている。

あぁ、窓に!

窓に何かいるの?

別に、何もいませんよ。

でもあなたの部屋の窓には
何かいるかもしれませんね。

見て確かめてください。

ほら、
カーテンを開けてみて。

壊れた心のかけらがキラキラと。

風に吹かれてふわふわと。

漂いながら集まって、
失われた心のカタチを形成していく。

それは見たこともない。

けれど懐かしい色をして。

深く暗い水底から
あなたを覗き込んでいる。

手を伸ばしたい。

気持ちのほんの端っこを捕まえて、
深淵なるルルイエに
やさしく連れ去るその時を
今か今かと待ち構えている。

身を委ねれば楽になる。

心を手放して堕ちてしまえば。

たった一枚の
忌々しいガラス板が邪魔をする。

硝子板は壊れるか?

壊れたいか?

いつしか硝子の声は聞こえなくなっていた。

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