人生なめてるを英語でいうと「make light of life」

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
アセンブリック教のご紹介はこちら。

家で過ごしている時、
時間が余った時、
あなたはどうしていますか?

何もやることがなくて、
「何のために生きているんだろう……?」
なんて疑問に思ってしまうことはありませんか?

何かしていないと
その不安を乗り越えられそうになくて、
お酒を飲みすぎたり、
とにかく散歩に出かけたり、
ゲームに没頭したり。

そうしたらそうしたで、
後になって
「命を無駄に使ってしまった」
と後悔したり。

私にはそういう時期がありました。

しかし、あるきっかけで
それではだめだと気付いたので

この記事では、私の体験を元に
暇な時間のなめ方について
お伝えしていきます。

命(時間)を無駄にしたくなかった

時間が余った時、
何かでその余った時間を埋めよう
というパターンは、
私が中学生の頃から続いていたように思います。

まずは睡眠時間ですが、
この時間は余った時間だと
当時考えていました。

やたら早起きして
魚釣りに出かけたり、
朝からゲームをしたり、

逆に、
深夜遅くまでインターネットで
調べ物をしたり、
ゲームをしたり。

当然次の日眠くなることも多くて、
それではだめだと
気付いても良かったのですが

睡眠時間が(=余分な時間が)
人生の3分の1を占めているなんて
そんなもったいないことはできない

という信念のもと、
短眠法に取り組んだりしていたのです。

でも今考えれば分かります。

人生を無駄にしたくない、
時間をもっと有効に使いたい、
余分な時間は悪だ、

といいながら、
睡眠時間を削ることによって
寿命を縮めていたのだ、と。

当時の私にとってはそれが、
命を無駄にしないことだったからです。

バカですよね~

命(食べ物)を無駄にしたくなかった

命を無駄にしたくない。

その思いは、
時間だけに限りませんでした。

食べ物だって、
何かしらの生き物の命を
頂いているのです。

だから、
お腹が空いてどうしようもない時以外に
何かを食べることは悪だ

という信念のもと、
食べることが嫌いでした。

高校の時に家庭科の授業があり、
「食べることが嫌いな人ー?」
と質問されて手を上げたら、

「珍しいね……」

と、なぜかドン引きされた記憶があります。

食べる時間ももったいない
と思っていたのですが、
今思えば、

とても気持ちの悪いやつでしたね。

みんな食べることを楽しんでいるのに、
一人罪悪感を感じていたら……

そりゃドン引きされるわ~

世界は罪悪感で出来ていた

以上のような価値観で生きていたので、
時間が余ってしまった時は

「人生を無駄にしている……」
「もっと有効に命を使わねば」

と、罪悪感を感じます。

だからといって
余った時間で遊んだりすると、
その時は楽しいけど
後になってから

「もっと有効な時間の使い方ができたんじゃないか」

という後悔とともに、
また罪悪感を感じる。

右を向いても罪悪感、
左を向いても罪悪感。

体は罪悪感で出来ていました。

いや、
もっといい生き方ができたんじゃねぇの?

とは当時は考えられませんでした。

きっと頭が悪かったんでしょう。

命を無駄にしたほうがいい?

考え方が変わり始めたのは
つい最近、2年前ほどのこと。

このブログを書いているときにも
やはり時間を無駄にしたくなくて
睡眠時間や食事の時間を
削ってしまっていました。

その結果、
冷蔵庫に取り残される鶏肉……

命を無駄にしたくない
とかいいながら無駄にしてきたのは
お前だよ、お前。

腐ってしまった鶏肉を前にした時、
もう一人の自分が
私の罪を責めてきます。

私は罰として、
腐った肉を食べてしまいました……

その後のことは閲覧注意案件です。
↓閲覧注意案件の記事

腐った肉を食べると生きることに本気になれる
お元気ですか、かにかまです。 かにかまって何?⇒プロフィールはこちら。 昨日、冷蔵庫に放置していた 鳥の胸肉を食べました。 冷蔵庫から取り出した瞬間に、 鼻に残るようなエグいにおいがします。 皮は黄色っぽく、 その身は 白く濁った粘液に浸か...

このことがあってからというもの、
私は今までの自分の価値観に
疑問を持つようになりました。

もしかしたら、
命を無駄にしたほうがいいんじゃないのか?
と。

命を無駄にしてみた

その疑問に対して、
答えを出したいと思いました。

考えてわかるものでもなさそうだったので
試しに命を無駄にしてみよう、と。

まぁ無駄にしてみるといっても
本当に命を粗末に扱うのは
非人道的ですし、
死にたいわけでもないですし、

何をやったかというと

今まで命だと思っていた
時間と食べ物に対する態度を変えてみた

ということです。

ちょっと考えれば分かることですが、
時間=命でもなければ、
食べ物=命でもないですよね。

いつから勘違いしていた……?

罪悪感を乗り越えて、
余った時間をぼーっとして過ごし、
腐った食べ物をゴミ箱にシュゥゥゥーッ!

超!エキサイティン!!
ハァ……ハァ……

罪悪感のハードルは高かったですが、
乗り越えた先に少し
新しい世界をみました。

無駄にすることは
それほど悪いことではありません。

人間の本質は「無駄にする人」

ヨハン・ホイジンガという哲学者は
人間の本質について、
「遊ぶ人」
だと言っています。

「遊び」とは、
なくても構わない余分なもの、
機械部品のガタツキのようなものです。

本質を忘れた人間は、
何でも無駄にしたくないと考え、
ゆとりを持たず、
精一杯働きます。

世界を動かす
精密な「歯車」のように。

でも人間は機械ではありませんから、
そんなことを続けていれば壊れてしまいます。

私のようにね。

あなたも
何でも無駄にしたくない
と考えていませんか?

もしも
無駄にしたくない信仰に
ハマっているのなら、
たまにはぼーっとしてみるのも
良いですよ。

そんな心のゆとりが、
「light of life」(心の支え)
となることもあるのですから。

ぼーっとしてみるといっても
いつも目に入る場所に
お菓子があったり
ゲームがあったり、

散歩にでかけたらでかけたで、
気になる広告があちこちにあったり
きれいなお姉さんが歩いていたり、
今日の晩御飯が気になったりするもの。

だからこそ、
意識してぼーっとすることが
大切だと思うのです。

「なめてる会」では、
ぼーっとする機会を作ります。

一緒にぼーっとしましょう。

あ、興味のある方はこちらからどうぞ。
お問い合わせ

あるいはメールから。
kanikama.jikoke@gmail.com

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