宗教にはまらないための思考法

宗教

お元気ですか、かにかまです。
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人工知能の進歩ってすごいですね。コンピューターが自分で情報を集めて学ぶということができるようになったとか。コンピューターも自己啓発する時代なんですね。

私たち人間も頑張りましょう。今日は、思考の活用法を考えてみました。

 

宗教を信じられますか?

あなたは現在なにか宗教を信じているでしょうか。うさんくさい、と思っているなら話の続きがしやすいです。

この宗教を信じて幸せになったとか、願いが叶ったとか、癌が治りましたとか、体験談を聞くことがあります。体験談は、実際にそうなった、という話ですから、

「もしかしたらこの宗教にすごい力があるのかも」

と思いやすいですね。

キリスト教の、聖職者の試験みたいなものでも、今までどんな奇跡を起こしたか、というような質問がかつてあったそうです。

宗教には奇跡を起こす力があるのでしょうか。

体験談を話すような人にはそれなりの根拠があるはずですよね。体験談として話されている「奇跡」は本当に起こったとしましょう。

ではその「奇跡」は、宗教の力で起こったのでしょうか。

理論的に調べるためには、同じように祈って「奇跡」が起こらなかった例はないのか、その宗教をしていなくても「奇跡」が起こった例はないのか、等のデータが欲しいですよね。

つまり、データなしでは「奇跡」が宗教の力で起こったという証明はできないのです。

 

全ての人に力がある

こういった「奇跡」話は、仏教でも新興宗教でも、キリスト教でも語られます。

どんな宗教にもよらず、「奇跡」は起きているということです。

そう考えると、「奇跡」は宗教の力ではなく人間だれしももっている力だといえます。自己啓発で有名な言葉として「思考は現実化する」というのがあります。人間の思考には「奇跡」を起こす力があるともいえます。

 

本当に力があるのか

全ての人に奇跡を起こす力があるのか、疑ってみます。その奇跡は、たまたま起こっただけなのではないか、ということです。

疑うという視点でみると、否定的な根拠が思いつきます。信じるという視点でみると、肯定的な根拠が思いついてきます。

大切なことは、疑うにしろ信じるにしろ、本当のことを検証することはできるのかを考えてみることです。

 

検証できない場合は

本当のことを検証することができない場合があります。データが足りないといった場合です。そういった場合には直感に従って信じるかどうか決めることになります。「怪しいぞ」とか、「この人信じられそう」といった印象です。同時に、間違っていた場合どのようなリスクがあるか想定して決めると大きな失敗にはならないでしょう。

 

だまされないための思考手順

1.それがなかったらどうなのか、または他のものではどうなのか

2.その事実は自分にも適用できるのか

3.以上のことがデータとして検証できるか

4.検証できない場合、信じるとどうなるのか、疑うとどうなるのか、それぞれのリスクを考えて検証してみる

 

 

お読みいただきありがとうございました。

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