12年前のある日、宗教組織の研修に参加した話

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お元気ですか、かにかまです。

ちょうど干支が一回りするくらい前のことを思い出しています。

その日は、少し曇った天気でした。当時、「自分ほど人生を舐めている奴はいない」が口癖だった私は、遠足にでも行くような気分で、先輩に誘われた宗教組織の研修に参加していました。

車を走らせること、1時間弱。木々が紅葉を始めた山の中、研修会場に到着します。

2年後、自分が後輩を連れて行く立場になっているとは、思いもしない二十歳の秋でした。

そもそも、宗教活動に参加するようになったのは先輩の影響です。

「たくさん本を読んでいて、すごいね」

そんな言葉をかけてくれた先輩。単純ですが、うれしかった記憶があります。

本を読んだり、熱心に勉強すること。それは時に人との間に壁を作ってしまいます。

「あいつは勉強熱心だ。俺達とは違う」

そんな雰囲気を時々感じていた私は、そのままの自分を受け入れてくれる人の存在がうれしかったのです。

それまで、家族がやっていた宗教組織に所属してはいたものの、活動は全くしていませんでした。

「この先輩となら、活動してみたい」

そう思った私は、イベントなどに参加するようになり、小さな役職のような、組織上の肩書がつくようになります。

そんなふうに、最近活動をし始めたような人たちがメインで参加する研修でした。参加者は15人ほどだったと思います。

まずは初対面の人たちと交流をしよう、ということで定番ですがカレーライス作りからです。

カレーライスの味は覚えていませんが、朗らかな雰囲気で協力し合い、リラックスできました。

食事が終われば、部屋に入って、講習というのかセミナーというのか、講師の人の話が始まります。イケイケのお兄さんといった雰囲気の講師です。

講師も先輩がきっかけで活動をはじめた、とか、納得できないながらも祈り続けていたら自分の考えが変わった、とか、所々共感しながら話を聞いていました。

ところが、話の最後の方で、自分が良い経験をさせてもらったこの宗教を他の人にも伝えていこう、という話題が出たとき。

「えー……絶対嫌だな」

と思いました。友人に話しても、宗教なんて誰も興味ないだろう、反発されるだけだろうと思っていたからです。家族が宗教でもめたことも覚えています。

「祈って叶うなんて、ありえないだろう」

とも思っていました。

そんな中、順番に感想を発表することになります。参加者15人くらいの中で、自分の発表する順番は真ん中辺り。

「みんな嫌だって言うんじゃないかな」

と思いながら、他の参加者の話を聞いていました。

ところが予想に反してみんな、友人に話してみます、とか、出来ることからやってみます、というような前向き発言をしたのです。

「え、やばいやばいやばい。これが洗脳か。これが新興宗教か」

私は内心焦ります。脇から変な汗が出てきました。額からも変な汗がにじんできた時、私の発表の番がきます。

無難に、みんなと話を合わせることもできたでしょう。でも私は、嘘をつきたくありませんでした。そして、正直にやりたくない気持ちを伝えれば、「じゃあ仕方ないね」という話になるだろう、と思っていました。

「私は、友人に勧めるなんて、できません」

その時空気が変わったように思います。講師の顔が、仏の顔から鬼の顔に変わったように感じました。

(やばい)

指先が震えはじめます。額から汗は流れ、喉は乾きます。それでも、なんとか声を出しました。

「祈ったら叶う、ということがどうしても信じられないからです」

世の中には、「信じられない」ということが許されない世界があります。この時も、私の気持ちは届きませんでした。いえ、届いていても認められなかったのかもしれません。

「なぜ、信じられないって決めつけるんだ?」

押し問答が始まります。

「信じられないことが、いけないことなんですか!」

そして私は、言うまいと思っていたこと、誰にも言っていなかったことを口走ります。

「友人の死に際、私は真剣に祈りました。でも友人は帰ってきませんでした。祈りが必ず叶うっていうんなら、友人を返してくださいよ……!」

完全に、八つ当たりです。人が死ぬ、そんな当たり前の現実が受け止められない若輩者でした。

(なんで若いのに、なんでまだまだこれから人生あるはずなのに、なんで死んでしまったんだ……バカヤロウ)

友人を、世の中を、恨んでました。その気持ちには、気付かないフリをしていたのです。

気付いたら、泣いていました。15人の参加者の前で。成人した男の子が。

私は恥ずかしさと、分かってもらえないという悔しさで、俯き、黙ります。顔を赤くして、汗まみれになりながら震えていました。私の後の参加者は、発表を続けました。

研修終了後、帰りの車の中。

「あんな辛いことがあったなんて思わなかった。友人に勧めろと無理に言われてもできないよな。だけど俺は信じてるから、祈り続けてみて欲しい」

他に現実を受け止める方法が分からなかった私は、試しにやってみる以外の行動が思いつきませんでした。

 

洗脳の3要素というものがあります。以下の3つです。

  • 解凍(パラダイムに疑念を抱かせる)
  • 変革(新しいパラダイムを吹き込む)
  • 再凍結(新しいパラダイムの固定)

この研修は、私にとってパラダイムを変えるきっかけとなりました。「信じられない」というパラダイムに疑念を抱き、「試しにやってみる」ようになったからです。試しにやってみると、それが正しいことのように思えてきます。

その後どうなったか、詳しくはこちらを読んでみてください。

大学生が宗教活動にはまった末路

熱い人たちに影響されて活動してみたけど、やっぱり信じられなくてやめたんです。

それから10年ほど経って、どうなったと思いますか?

あまり、変わっていません。

私はどこかで自由を怖がっているのです。自分で決めたことの責任をとるのがどこか怖くて、何かの「考え方」にすがりたくて、正解を知りたくて。

まだ、宗教を求める気持ちがあるのかもしれません。

かつて宗教は、人の連携に役立ちました。共通の価値観に従って、組織的行動ができるようになるからです。そのため、宗教をもった民族が生き残ることができたといわれています。仕事においても、共通の価値観をもったチームほど仕事がやりやすいですね。

現代における宗教の役割はなんでしょうか? 今の私にはわかりません。

ですが、いわゆる信者メンタルは改善していかなければならないと感じています。ひとつの考え方にすがるのではなく、正解を求めるのでもなく、自分たちで決めること。

人は、自由の刑に処せられているのです。

かにかま
最近、サルトルのこの言葉好きなんです

 

お読みいただき、ありがとうございました。

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