食べるために生きる

思考・感情との付き合い方

お元気ですか、かにかまです。
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「生きるために食べるのか。食べるために生きるのか」

という有名な哲学的問いかけがあります。

私がこの言葉を聞いたのは高校生のとき。家庭科の先生が調理実習しながらいっていました。

太宰治も『人間失格』の中で、「食べるために生きる」と言及しています。

当時この言葉をきいた私は、「いや、生きるために(仕方なく)食べるんだ」と思っていました。高校生の頃勉強にはまっていて、寝る時間がもったいない、食べる時間がもったいない、と考えていたからです。

食べることは好きか?と聞かれたら、嫌いです、と答えていましたね。

大変恥の多い人生を送ってきました。

 

食べることの意味

なぜ、人は食べるのでしょう。

シンプルな答えは、栄養を補給するためです。食べなければ餓死してしまいます。

では、食べなくても栄養補給ができれば、人は食べなくなるのでしょうか。そんなことはないと私は思います。食べることには、以下のようなメリットがあります。

  • おいしいという感動
  • 空腹感を満たすという幸せ感
  • 誰かと食べるとき、感動を共有する
  • 食べ物に関わるとき、人の役に立っているという幸福感

食べることの意味は、栄養補給とか、食欲を満たすためだけではないのです。

 

生きることの意味

生きるということを、生存して心臓が動いている状態とするなら、生きるためには食べなければなりません。

史上最強の人生戦略マニュアル』によると、「本当に生きることとただ存在することの違いを知り、区別するための知識」というものがあるそうです。

  • ただ存在する・・・人生の質に関係なく、日々を生き延びることをいちばんの目標とすること
  • 生きる・・・自分の研ぎ澄ました武器となる技能や能力を使うこと

「生きるために食べる」といってしまうと、ただ存在するために食べるということになってしまいがちです。食べることにも生きることにも、もっと大きな意味があります。

食べる=幸せを味わうために、生きる=自分の能力を磨く、そういった態度で生きていきたいですね。

 

肉が食べたい

以上、食べるために生きることについて書きました。

肉が食べたいです。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

太宰治 『人間失格』(青空文庫)

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