宗教始めました

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
アセンブリック教のご紹介はこちら。

宗教を作りました。

アセンブリック教のご紹介

15年ぶりに、
宗教活動を始めます。

15年前、
大学生だった私は、
ある宗教団体の幹部候補生で、
30人ほどのグループの
長をやっていました。

その時には、
名簿を受け継いでの
宗教活動でしたが、

今回は自分で作るので、
ゼロからのスタートです。

面白そうかなと。

昨日設立して、
2名の方が入信を決めてくれて
そのうちの1人は、

ナンバー2をやりたい

という意欲を見せてくれています。

願うものには、
立場と仕事を与えよう。

それが
アセンブリックフォースの導き……

あなたの入信を歓迎いたします。

この記事では、
宗教のはじめ方について
お伝えしていきます。

宗教とは何か

宗教の定義は
宗教学者の数だけあるといいます。

私も独自の定義をしましょう。

まず、
基本的人権として、

「信教の自由」

というものがあります。

Wikipediaによると、

”特定の宗教を信じる自由
または一般に宗教を信じない自由”

人間精神の解放を求めた戦いの結果、
確立されたものだそうですね。

であるならば、
宗教が目的とするものは、
人間精神の解放、
自由で健全な精神
といえるでしょう。

誰かに制限をかけるのではなく、
他人に遠慮して自分に制限を
かけるのでもなく、
のびのびと精神を解放できる。

その状態を目指しましょう。

また、
文化庁によるガイドブックには
宗教団体の要件として、

  • 教義をひろめる
  • 儀式行事を行う
  • 信者を教化育成する
  • 礼拝の施設を備える

このようなものが示されています。

自由で健全な精神を目的として、
上記のものがあれば
宗教と言えるのでしょうね。

信教の自由について

自由になりたい
と言う人をよくみかけます。

一方、
法律でも保障されている、
信教の自由については
制限されていると感じます。

会社やコミュニティにおいて
信仰の話をするのはタブー
とされている場合が多く、

ましてや布教を行うなど
もってのほか。

強く信仰をもつ人ほど、
肩身の狭い思いを
することになります。

そういった社会的圧力による
信教の自由への制限を
受けていることにも
していることにも気が付かず、

「自由」

を口にするのは
どうなんでしょうね。

また、
宗教家庭に生まれた人にとって、
信仰とは自分で選んだものではなく
選ばされたもの
からのスタートです。

信じるものすら自由に選べず、
信じるものがあっても
自信を持って人に伝えられない。

そんな人が多い国が、
元気な国になるのでしょうかねぇ?

法律で自由が保障
されているからといって
自由とは限らない。

この現実に私は、
人間精神の束縛を感じます。

真の自由を求めて

現実世界で無理なら、
せめて仮想現実の世界では
真の信教の自由が
あってもいいはずだ。

『宗教家になろう』
という宗教投稿サイトがあってもいい。

誰でも自由に
自分の信仰を投稿できて、
布教をすることもできる。

そのサイトで人気の出た宗教には、
出版や法人化のオファーがくる。

サイトから複数の宗教が生まれて、
それらに共通要素があって、
なろう宗教
とか呼ばれるようになる。

そんな世界があってもいい
と思っているのですが、
私の考えはおかしいでしょうか?

せめて小さな世界で自由を

現実世界でも仮想現実でも
真の自由が得られないならば、
せめて自分の周りだけでも。

自分の意志で
信じることにしたものを、
自信を持って布教し
仲間を集めていく。

そんなことをしようと思ったら、
自分で宗教を作るのが
手っ取り早いですよねぇ!?

信じるのも自由、
信じないのも自由ですが、
人から選ばされたものではない、
本当の信教の自由を
インターネットの片隅に作りたいと思います。

そして、
あなたの入信をお待ちしております。

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