16年遅れのさよならを

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
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永遠に生きる
ということを考えたことはありませんか?

最後には死んでしまうなら、
何をやっても
人生に意味なんてない
と思うようなことはありませんか?

 

先日、友人の墓参りに行ってきました。

線香とろうそくを購入して、
一人で、
アセンブリック式に、
書いた手紙の黙読をして。

改めてお別れするためです。

 

16年前、
死んでしまったということも、
人はいつか死ぬということも、
受け入れられませんでした。

永遠に生きるなんてできないと、
もちろん頭では分かっています。

それでも、
永遠に生きてほしい
と思っていたのです。

 

いつか死ぬとしたら、
どんなに人生が楽しくても、
最後には
世の中のすべてと、
お別れしないといけない。

世界が美しければ美しいほど、
楽しければ楽しいほど、
お別れするのはつらくなる。

未練が残る。

だったら
楽しむことなんてやめてしまえば……

 

むしろ人生がつらくて、
死ぬことで解放されると
考えられたほうが、

別れが辛くならないんじゃないか……?

 

最後にはすべてと
お別れしないといけないとしたら、
どんなに頑張っても
何を成し遂げようとも、

何の意味もないじゃないか。

人生なんて
悲しすぎるじゃないか。

 

そんな思いにとらわれて、
何も挑戦せず、
ただ無力感や無価値感を
抱えて生きて死んでいく。

 

そうなるのが怖いから、
必死で死ぬことから目をそらす。

きっとみんなそうやって
楽しく生きているんだろう、と。

 

だけどふとした時に
直面してしまう。

 

どうして僕たちは
死なないといけないんだろうな。

こんなに美しい世界を作るなら、
人が死なない世界も
作ってくれよ神様!

 

私には信じられるものが必要でした。

死ぬことが、
世界との別れ以外に
意味のあることだと思えるために。

生きることを
心から喜べるようになるために。

その辺の仏教や、
哲学や心理学では、
役に立ちませんでした。

よく言われる、
幸せになるために生まれてきた
というのも意味が分かりません。

だから自分で、
信じられるものを作ったのです。

 

今生きていることは事実。

事実があるなら
信じられるものがある。

人間は原子が集まってできている。

生きることは
人間というプロジェクトを
原子がチームを作って
進めていること。

死ぬことは
プロジェクトチームが
解散するだけのこと。

また別のプロジェクトで会えるかも。

 

信じることによって、
別れを受け入れられたなら、
それから先は
ずっと違ったものになるはず。

だから、
16年遅れたけど、
改めてさようなら。

そしてお元気で。

 

というような内容の
手紙を黙読して
手を合わせて帰りました。

青々とした葉桜が
顔をのぞかせていました。

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