イスラム教の聖典から学ぶ、思考をコントロールする責任

こんにちは、かにかまです。

最近、コーランを読むという本を読みました。イスラムの考え方を知りたい、という動機です。

世間では危ないイメージがあるイスラムですが、本当のとこはどうなの?と気になったからです。その中で印象に残った部分から、思考をコントロールする責任ということについて考えてみました。

 

動物と人間の違い

本によると、イスラムでは、動物や植物などの自然は、生きているだけで神の賛美になる、と言われます。対して人間は、生きているだけでは神の賛美とはならない、と。

なぜかというと、人間は考えることができるからです。神を信じるか信じないか、選択することができるために、純粋に神の賛美をすることはできないのです。

 

人間の素晴らしさ

しかし、人間は選択する自由をもっているために、能動的に神を賛美するということが可能になります。生きているだけで神の賛美となる自然のものには、能動的に選択するという自由がないのです。

従って、人間でありながら神を賛美するということは自然のものが賛美する以上に素晴らしいこと、となります。

ここで神というのは、イスラム教から言うとイスラムの神のことになるのですが、一般化しても良いと思います。私は、神を賛美するとは良い生き方をすること、と読み替えました。

思考をコントロールし、良い生き方を選択することができるということが、人間の素晴らしさです。

 

自由には責任が伴う

選択する自由があるということには、責任が伴います。逆に自由がない、ということは責任が取れないということです。

こうするしかなかった、という場合には仕方ないね、となります。本当にそれしか方法がなかったのか考えてみたら、そんなことないことがほとんどだとは思いますが。

思考をコントロールできる、という時点でどのような生き方をするのかという責任が伴っていると思います。

自分の人生に責任をもつ、ということです。

 

やっぱり責任をもちたい

責任というと、重く感じるかもしれません。義務が増えてプレッシャーのように感じますよね。

それでも責任をもちたいと私は思います。なぜかというと、その分選択肢が増え自由になるからです。そうでなければ人任せの人生になってしまう。それは嫌だなと思ったからです。

人の価値観ではなく、自分の価値観で生きていく。そのために思考をコントロールする方法を身につけましょう。人に押し付けられる責任ではなく、自分で責任をもちましょう。

お読みいただきありがとうございます。

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