自己啓発や宗教が怪しい理由

こんにちは、かにかまです。

自己啓発というと、「怪しい」「宗教みたい」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。私も以前はそのように思っていました。

そこで、なぜ「怪しい」のか考えてみました。自己啓発や宗教が怪しいのは、「価値観を押し付けるから」だと思います。

 

価値観の押しつけになってしまう

自己啓発に関するブログを書き始めて気付くのですが、良い情報を伝えたい、人生を良くするきっかけになったら、といった想いで文章を書いていても、価値観の押しつけになってしまっているような気がしています。そして、そういった情報を受け取る側からすると、「自己啓発は怪しい」となります。

宗教についても、本来は人の幸せのためにあるはずが、価値観の押しつけになっていることがあります。

そのあたりが、自己啓発や宗教が怪しい理由なのだと思います。押し付けられた価値観に従ってしまい、自分の価値観を見失うことが怖いのです。また、その押し付けられた価値観が間違っていることがあるのに、自信満々で押し付けられるのも怪しい理由となります。

 

なぜ価値観の押しつけになってしまうのか

自分の価値観が絶対に正しい、と思っているのではないでしょうか。自らの体験によって培われた価値観は、なかなか疑うことができません。そのために、他人へ表現する時に押しつけがましくなってしまうのです。

しかし、逆に自分の価値観に自信がなければ、押しつけにはならないでしょうが言葉も弱くなり、うまく表現することができなくなるように思います。自信のある人が表現するから、価値観の押しつけになってしまうのだと思います。

 

怪しくない自己啓発はないのか

本来、自己啓発というのは人に価値観を押し付けられるものではありません。読んで字のごとく、”自”分で”己”を啓発(知識を開き、高所へ導くこと from広辞典)することだからです。ただし、自分一人では気付くことのできない心の奥のことや、思考の気付きを得るために本を読んだり、人の話を聞いたりするのです。

怪しくない自己啓発とは、ささやかなものなのだと思います。何でもない日常が自己啓発になることもあります。出来事をどう捉えるか、心構え次第で全てのことが自己啓発になる、と私は考えています。

このブログでも、価値観を押し付けるのではなく、気付きのきっかけを得ていただけるよう心がけていきますのでよろしくお願いします。

【この記事の関連記事】

コメント