『ダークソウルリマスタード』2周目アルトリウスが倒せない

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
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ブログを更新しようとしている今、
ディスプレイが壊れてしまいました。

去年買った格安の液晶ディスプレイ。

5年くらいは君と一緒に
過ごせると思っていたのに
1年ちょっとで壊れてしまって
私は寂しく感じます。

液晶ディスプレイと
温かいコミュニケーション
をとる日々ですが、

最近私は日常生活を
『ダークソウルリマスタード』
というゲームに捧げています。

食事もまともにとらず、
睡眠時間も削ってゲームをする。

大人としてどうなんでしょうか。

『ダークソウル』で人生救われるのか?

この記事に書きましたが、
みんな苦労するというオンスタ戦が
あっけなくクリアできてしまったので、
レベル制限をかけて、

SL12(ソウルレベル)で
縛りプレイをしています。

さらに周回も回しているのですが、
日常を捧げてまで
ゲームにのめり込んでいる
にもかかわらず、
倒せない敵が出てきました。

周回2周目のアルトリウス。

初段の振り下ろしがよけれない、
近距離からの突きもよけれないし
突きをよけても
次の振り下ろしがよけれない。

何回やっても何回やっても
2周目アルトリウスが倒せません。

いつも同じ攻撃で死ぬ。

この曲のような気分です。

周回すると敵が強くなる

2周目ということは、
1周目はどうだったのか?

『ダークソウル』では、
ラスボス、薪の王グウィンを倒すと
エンディングの後すぐに
オープニングがはじまり、
2周目に入ります。

2周目、3周目と同じようになるのですが
周回を重ねるごとに敵が強くなっていきます。

7周目が最大強化で、
8周目以降は強くならないようです。

2周目以降では1周目と比べて、
敵の攻撃力と体力が大幅に上昇するため
レベル制限をしていると一撃死
する場面が多くなります。

1周目では多少のミスは許されるため、
ゴリ押しできていた、
ということですね。

なんでわざわざ難しくするのか?

ハマる人には分かると思うのですが、

縛りプレイややり込みプレイ、
RTA(リアルタイムアタック)など、
どうしてわざわざ難しいことをするのか、
分からない人もいるんじゃないかと思います。

より深く味わいたいから。
あっさりしすぎていると、
面白くないから。

より難しいことを達成したとか、
お金や時間をかけたものほど
人は価値を感じやすい
という傾向もあるようです。

これは人生も同じだと思います。

あなたの人生は周回何周目ですか?

仏教の講義で聞いたことがあります。

仏と縁を結んだあなたは
すでに菩薩の道を歩んでいます。

法華経、
如来寿量品第16に
「衆生所遊楽」とあるように、
仏の目からみれば
みんな遊びに来ている。

あえて苦労もしている。

どこかで聞いた話

つまり、周回プレイですね。

もしかしたら、
縛りプレイかもしれません。

遊ぶため、
ゲームを楽しむために
人生に縛りをかけていたり、
周回してより強い敵を相手にしている。

あなたは人生何周目でしょうか?

まだアルトリウスには
出会っていませんか?

もしかしたら6周目を終えて、
最も敵が強い7周目に
入っているのかもしれませんね。

生と死が分かたれない灰色の世界

人は苦労がなければ
楽しみを知らない。

不幸がなければ
幸福を知ることもない。

古い時代
世界はまだ分かたれず、霧に覆われ
灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった

だが、いつかはじめての火がおこり
火と共に差異がもたらされた
熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇と

『ダークソウル』オープニング

命が生まれた時、
死もまた生まれたのです。

人は世界を見る時、
「それ」と「それ以外」で
比べなければ認識できない。

「親指を描きたいなら、
親指以外の空間を描きなさい」
と、美術の先生も言っています。

人はみんな、
幸せになるために生まれてきた。

だから今不幸なのは、
幸せを認識するためなのです。

と、そう言いますが、
私は納得できません。

たしかに、
幸せが当たり前になれば
人は幸せを感じることはなくなる。

でも本当の幸せとは、
幸せなどどうでもいい、
なぜなら当たり前だから
という状態なのだろうと思います。

「安全第一」という言葉は
災害が多発してから生まれ、
安全の大切さが
認識されるようになりましたが、

災害など最初から
ないほうがいいでしょう。

幸福を捧げよ

『インテグラル心理学』では
人の心の成長と社会の成長は
同じステップを踏み、

同一化→差異化→超越(統合)

という段階を経るとされます。

(同一化)
生と死が分かたれない世界から、
(差異化)
2つが区別されるようになり、
(超越)
それらを含みつつ超越し、
とらわれなくなる。

『ダークソウル』
のエンディングの一つは、
世界を照らす火の薪として
自身を捧げるというものです。

生きることも死ぬことも
不幸も幸福も含めてすべて
何かに捧げることができたら。

そうすれば次の周回に突入できるのでしょうね。

宗教の目的とは、
幸福になることではなく
幸福は当たり前として、
それ以上の価値を見出すこと
だと私は思っています。

幸福を捧げよ。
人間性を捧げよ。

人間性を捧げることで
亡者から生者になれるのです。

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