西日本豪雨:ボランティアで熱中症になりたくないから災害支援寄付をする

日常を楽しむ

お元気ですか、かにかまです。
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先日、
西日本豪雨災害支援の
寄付を行いました。

今回の災害では、
岡山県でも大きな被害が出ています。

被災して大変な目に遭っている人もいれば、
友人が大変な目に遭って
心を痛める人もいるでしょう。

困っている人、
大変な人に対して
「なんとかしてあげたい」
と思うのも人間の欲求ですよね。

時には、
自分を犠牲にしてでも力になりたい
と思うこともあります。

例えば、
ニュースによると、
復旧ボランティアの方が
熱中症で倒れたりもしているようです。

| 毎日新聞

自分を危険にさらしてまで
復旧ボランティア活動を
しようと思う人ばかりではないでしょう。

ただ、
「なんとかしたい」
という思いが先行して、
リスクを考えずに
自分を危険にさらしてしまうのは、
悲しいことだなと思います。

「自分が危険な目に遭っても構わない。
困っている人を救いたい」

もしあなたが、
そんなふうに考えているのなら、
私はあなたにボランティア活動を
おすすめしません。

なぜなら、そのように
自己犠牲的になっていると
適切な危機管理ができないからです。

我が身を振り返ってみても
そう思います。

「自分はどうなってもいい」
なんて思うから、
腐った肉とか食べてしまうんです。

腐った肉を食べたら生きることに本気になれる

あなたは
自分の身を大切にしてくださいね。

自己犠牲的な思いの強いあなたに、
ボランティア活動の代わりに
おすすめしたいのが、
災害支援寄付です。

この記事では、
自己犠牲的になってしまう問題は
寄付することで解決できるよ、
ということをお伝えします。

のうのうと生きる罪悪感をお金で解決する

運よく、
私の住んでいるところは、
ぎりぎり被災を免れました。

被災した友人もいません。

それでも思うことがあります。

車で30分くらいのところでは
大変な思いをしている人がいる、
という一方で
のうのうと生きている自分がいる。

「自分はこんなにお気楽に
生きてていいんだろうか?」

恥ずかしいような、
罪悪感のような、
居心地の悪さを感じてしまいます。

そんな居心地の悪さを
解消するために、
自慢というわけではないのですが、
給料1ヶ月分くらい寄付しましたよ。

金銭的な痛みを自分に与えることで
罪悪感を紛らわせているのです。

世の中への
感謝の気持ちも込めています。

当たり前の
平穏無事な日常って
本当にありがたいものですから。

もう一桁くらい多く
寄付できるようになれたらよいのですが。

ボランティア活動に参加しないことを正当化

ところで
人はなぜ寄付をするのだと思いますか?

私の場合は、
自己否定からの寄付
だったなぁと思うんです。

災害支援って、
寄付だけじゃないですよね。

ボランティアで
復興支援に行く人もいるし、
情報発信をして
励ます人もいます。

私は正直、
そういうのしたくありません。

だって、大変そうだし、
汚れそうだし、
危なそうだし、
その時間があったら
家でごろごろしたい
なんて思うからです。

そんな私にも、
寄付ならできます。

お金払うだけですから。

私が寄付をしたのは、
災害復興の現場に行けない、
行きたくない、
そんな自分を正当化するためです。

でも寄付したおかげで
自分の心は救われましたし、
私の寄付もちょっとは役に立つでしょう。

どんな理由で寄付をしたっていいのです。

お金に貴賤はないのですから。

平穏無事な日常の価値

平穏無事な日常に、
値段を付けるとしたら
あなたはいくらの値段をつけますか?

本当は、
給料1カ月分どころでは
ないでしょう。

ただ、
年収500万の人と、
年収5000万の人では、
同じ値段を払ったときでも
その痛みは変わります。

無理して払い過ぎると
平穏無事な日常を
過ごすこともできません。

平穏無事な日常を過ごすのにも
お金が必要です。

それでも私が金銭的な痛みを
あえて受けようとするのは、
体の痛みよりや
心の痛みよりも
お金の痛みの方が
ましだと思うからです。

「自分なんかがのうのうと
毎日過ごしていいんだろうか?」

なんて思いながら日々を過ごすよりも
給料1ヶ月分を寄付して、
「これでいいや」
と自分を納得させた方が
いいと思いませんか?

偽りの善意で活動するのは辛い

被災地へ行って支援活動をする、
それは素晴らしいことです。

でも、もしその活動が
自分の本心からではないとしたら、
活動していて苦しくなるでしょう。

心の奥で納得できないからです。

私も、偽りの善意で行動していて
辛くなったことがあります。

あなたの本心はどうですか?

私の心は病気

世界には、
今日明日の食事にも困るような
一日一日を必死で生きている人がいる。

そんな話を聞けば、
「それに比べて自分は、
恵まれた環境でのうのうと生きて
申し訳ない……」
なんて思ってしまっていた
私の心は病気なのかもしれません。

恥と罪悪感から、
ただ生きている自分が許せないのです。

もしあなたが、
自己否定の強い人なら
同じように思っているのでは
ないでしょうか。

あなたは寄付をしますか?
それともボランティア活動に
参加しますか?

するとしたら、
それはどんな理由からですか?

きれいごとではなく、
本音を聞きたいな
と思います。

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メッセージより教えてください。

またはこちらのメールアドレスに
メールをください。
kanikama.jikoke@gmail.com

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