好きな人 恋人 彼氏 彼女が宗教の信者だったらどうする?を信者目線で考えてみた

宗教

お元気ですか、かにかまです。
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好きな人が宗教の信者だったら、
どうします?

「本当に付き合って大丈夫なんだろうか」
「入信しないといけなくなるんじゃないか」
「結婚できるんだろうか」
「何考えているか分からない。怖い」

そういう不安って、
あると思うんです。

でもそれって、
相手のことを理解しようと
してないからではないですか?

私は大学生の頃、宗教にはまって
学生団体の幹部をしていました。

当時を思い出すと、

  • 理解されたい。
  • どうして宗教を信じている
    というだけで避けられるのか。
  • 宗教が違うというだけで
    人はなぜ争うのか。
  • いいからとにかくモテたい。
  • なぜモテないのか。

なんていう、
寂しさや孤独感が
強かったように思います。

だってほとんどの人は
「胡散臭い」とか
「怪しい」なんていって
軽蔑した目で私を見つめるのですから。

理解してほしいという気持ちから
この記事を書いています。

エゴ丸出しの記事となりますが、
相手のことを理解する
という点では
あなたの役に立つかもしれません。

そんなことよりモテたい!!
のですが。

宗教信者は寂しい

入信はしてもらえなくても、
自分の宗教活動を認めてもらいたいし、
どんな思いで活動しているのか
理解してほしいのです。

勧誘活動をしている人であれば、
いくらかの批判を受けています。

宗教が批判される理由は、
考え方・信条の押し付け、
同調圧力をもつコミュニティ
などでしょう。

押し付けられたり、
洗脳されたりするのは
私だって嫌です。

でも、それって
宗教だけじゃないですよね。

学校教育だって、
会社組織だって、
いわゆる「普通」を求められます。

一種の洗脳だし同調圧力ですよね。

それなのに
宗教だけが嫌われています。

そんな世の中に
理不尽さを感じて、
「自分は理解されない人間だ」
と思ったりするわけです。

実は、そういう人こそ
理解されたいと思っているし
大切な人が理解してくれた時の喜びは
「あなたが神か?」
というくらい大きいものです。

「理解してもらえる」
というのは、もしかしたら
当たり前のように思うかもしれませんが
宗教活動をする人にとっては
ものすごく大きな
ありがたさがあります。

だからこそ、
飢えたオオカミのように
あなたに理解されようとするのです。

また、理解されたいと思うのは、
寂しさの他にこんな理由もあります。

宗教信者は相手に入信してもらいたい

理解されたいと思う理由、
それはもちろん、
入信してもらいたいからです。

基本的には、相手の幸せを願っています。

ただ、その「幸せ」の定義が
ちょっと普通と違うんですよね。

自分の信じる宗教を
信じることこそが幸せだと
思っています。

特に新興宗教の場合は。

だから、
なんとかして宗教の良さを伝えよう
と思うのです。

そんな雰囲気が、どことなく
普段の行動から感じられませんか?

例えば、こんなことを言ったり。

「この宗教にはいい人ばかり」
「先輩に会ってみない?」
「この宗教を信じていたから
事故があっても助かったよ」

「宗教を信じる=いい人になる」
あるいは、
「いい人だから宗教を信じる」
とか、何の根拠もない話です。

実際にはどこにでも
いい人も悪い人もいます。

でも、
この宗教を信じている人はいい人ばかり
なんて思ってしまうのは、
信じるということを信じているから
仕方のないことです。

同じように、
あなたが入信したら幸せになる
ということが真実かどうかわかりませんが、
少なくとも相手にとっては真実なのです。

あなたは、相手の真実を
受け入れられるでしょうか?

どんなことが受け入れられないか

宗教信者と言っても程度があり、
お互いの気持ちや
価値観の違いによって、
選択肢は様々でしょう。

  • 諦めて別れる
  • 入信してみる
  • 宗教をやめてもらう

どんなことが受け入れられなくて、
どんなことなら受け入れられるのか、
この記事で具体例を見ながら、
明らかにしてみてください。

幼稚な宗教信者

私は、
「信じていれば、
どんな願い事も叶う」

なんて思っていた、
たちの悪い宗教信者でした。

遺伝子の差もあるし、
努力で埋められない壁がある
なんてことをよく理解していなかった
愚か者です。

うさぎがトラになることはできないのに。

なんでもできる
なんて思ってしまうのは、
心理学的には幼稚なんだそうです。

失敗や挫折を経験して、
手放していくものである
「万能感」
を手放せていないからです。

はたから見ると
人生をなめているように
見えるでしょうね。

人生なめてるやつの特徴

あなたが好きな人は、
まさかそんな愚か者ではないですよね?

怒りと悲しみを抑圧した宗教信者

宗教を信じている理由を
聞いてみたことはありますか?

「必ず幸せになれるから」
とか、
「信じていて救われた経験があるから」
とか言っていたら、
それは相手の本当の気持ちでは
ないかもしれません。

私の場合は、幼いころ
家族が宗教を原因として
対立していたことに対する
怒りと悲しみでした。

家庭内宗教戦争勃発 その時何が起こったか

「なんで宗教が違うからって
喧嘩するんだよ!」

「お互いを大切にして
もっと仲良くしてくれよ……」

「それで、僕ともっと遊んでよ……」

ものすごく、
怒りと悲しみを
抱いていたはずなのです。

でもいつしかそれらを抑圧するようになり。

抑圧された怒りと悲しみが
宗教に対する
「なぜ?」
という疑問と好奇心になったのが
宗教活動をはじめた理由です。

あなたの好きな人が
宗教を信じる本当の理由は何ですか?

「本当はどうなりたいのか」が分からない宗教信者

宗教を信じている人に
この質問をしても
答えが分からないかもしれません。

その理由は、
自分の気持ちに嘘をつき続けたことです。

人から与えられた目標を
自分の目標だと勘違いして
必死に努力している。

そんな人は、実は苦しいはずです。

もし、あなたの好きな人が
そうであれば、
ぜひこの記事を読んでください。

宗教と自己啓発にはまった私が依存的考え方からの抜け出し方を徹底解説

依存的になってしまいやすい、
という点は
宗教の悪いところです。

そして依存的な考え方のままでは、
いつしか心を病むことになるでしょう。

心を病んでる宗教信者

自分の本当の気持ちが分からなくて、
でも誰かを救いたいと思っている。

でも目指している目標は
自分のものではなく、
人から与えられたもの。

そんな人は重症です。

心を病んでも仕方ないですね。

私は思うのですが、
「救いたい」
という気持ちになる人は
すでに心を病んでいるのでは
ないでしょうか。

「救いたい」は心の病? 宗教にはまる人のホンネ

あなたの好きな人は、
心を病んでいませんか?

人と人が分かりあうということ

ここまで読んで、
あなたの選択肢は変わったでしょうか?

  • 諦めて別れる
  • 入信してみる
  • 宗教をやめてもらう

どの選択肢を選ぶとしても、
それはあなた次第だと思います。

ただ、
この記事で私がお伝えしたかったのは、
人と人が分かりあうことの難しさです。

きっと、私には
あなたのことも
あなたが好きな人のことも
わからないでしょう。

もし分かったつもりになれば、
それこそ危険なことだと思います。

自分の気持ちだって、
分かったようで
分からないのですから。

本当に相手のことを
理解しようと思うなら、
実は理解できないことを
認めて受け入れることが
大切なのです。

あなたは分かったつもりに
なっていませんか?

最後にこの言葉を送ります。

分かりあいたいなら、
分かりあおうとしてはいけない。

最後に自分自身にも
戒めのメッセージを送ります。

モテたいなら、
モテようとしてはいけない。

あーモテたい……

モテない自分を認める。
分かり合えない現実を認める。

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