お元気ですか、かにかまです。
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宿題というものは好きでしょうか?
「宿題がなかったらもっと遊べるのに・・・」
と、思う方も多いでしょう。
実は、嫌々宿題をやることにはリスクがあります。
今回は、「宿題をやらなくてもいい理由」というプレゼンテーションをしようという、中学二年生くらいの方向けの記事です。
この記事を書こうと思った理由は、「Edge Rank」というメールマガジンの、ヨスさん(@yossense)号にこんなことが書いてあったからです。
被害者的なノリで宿題をするぐらいなら、自由研究で「私が宿題をやらなくてもいいと思う理由」というのをまとめてプレゼンテーションするほうが有益なんですけどねぇ。
メールマガジン「Edge Rank」 2017年8月25日号から
これを読んで、自由研究しそうになりました。同じように思って、実際に「宿題をやらなくてもいいと思う理由」のプレゼンテーションをやろう、というあなたの参考になればと思います。
私が中学二年生の頃といえば、心理学とか哲学がなんとなくかっこいいという思いがありました。いわゆる中二病にかかっていたのです。
ですので、心理学を使って説明したいと思います。
宿題をちゃんとやることのリスク
「被害者的なノリで」という部分が重要で、これは心理学的にも根拠があります。
宿題は勉強することにおいて重要ですが、嫌々ながら宿題をすることについてのリスクは見えにくいと思います。
「ほんとは嫌だけど我慢して宿題をしよう」
そのような意識や、心がけは将来のリスクとなるかもしれません。
例えば、真面目な人ほどうつ病になりやすい、などといわれます。「がんばらなければ」という枠にとらわれて、心の声を無視してしまうからでしょう。
また、熱中症にかかりやすい人の傾向として、
- 頑張り屋
- 責任感の強い人
というのがあります。嫌々ながらも宿題をやる習慣をつけると、将来も、嫌なことを我慢してしまう原因となります。「嫌なことでも我慢してする」ということが、うつ病や熱中症、ブラック企業を生むリスクとなるのです。
私は、宗教にはまっていたころ、善良な人間になる、ということに縛られていました。洗脳されていたといってもよいでしょう。
どこか窮屈な思いを感じて毎日を過ごし、自分が本当に価値があると思っていることが何なのか、わからなくなりました。
もちろん、善良な人間になろう、という心構えは素晴らしいものだと思います。
しかし、その思いに縛られて、そうじゃない自分に罪悪感を感じながら日々を過ごしてしまうくらいなら、思い切っていい人であろうとする努力をやめてみてはいかがでしょうか。
成功は最大の失敗
「いい人になろう」というような強迫観念の説明として、報酬による説明があります。報酬について、時間軸で分けて考えます。
例えば、ダイエットにおいては、(心理学ではよくダイエットが例にだされます)
- 短期的報酬・・・食欲に従って食べる
- 中期的報酬・・・体重の減少を経験して、痩せている満足感を得る
- 長期的報酬・・・ダイエットを成功させることによって、理想の人生を生きる
長期的報酬は人によって、様々あると思います。短期的報酬=誘惑に対抗するためには、「我慢すると決める」というような個人的ルールの設定が有効なのですが、個人的ルールに固執することはリスクもあります。
後でふりかえって自分がルール違反をしていたと思うのを恐れるあまり、長期的な利益が要求する以上に警戒心を上げてしまう場合もある。こうした理由づけは強迫観念を悪化させる。失敗はすべて個人的ルールに従う能力を下げるが、遵守はすべて、個人的ルールに従わない能力を下げてしまう。
出典:ジョージ・エインズリー著『誘惑される意志』220ページより
中期的報酬が、強迫観念として長期的利益の障害になるということです。
私の例で考えると、宗教にはまっていたころのそれぞれの報酬は、
- 短期的報酬:だらだらした日々を過ごす
- 中期的報酬:自分を律して宗教活動に励み、良い人になっていく
- 長期的報酬:理想の人生
だったと思います。良い人になる、ということが強迫観念となって、窮屈な日々を過ごしました。
宿題の報酬を、
- 短期的報酬:宿題をやらずに遊ぶ
- 中期的報酬:宿題をやることで、ちゃんとできる自分に満足する
- 長期的報酬:理想の人生
だとします。
もちろん本当に大切なのは、理想の人生ですよね。
しかし、ここで宿題をやるという中期的報酬にとらわれてしまうことで、本当の利益を見失うというリスクがあります。
特に、嫌々宿題をしていると、短期的な誘惑を乗り越えた自分に満足しやすく、癖になりやすいでしょう。
「成功は最大の失敗」(『誘惑される意志』第9章)ともいえるのです。
宿題のありがたさ
宿題を嫌々やるということにはリスクがあるという説明をしてきましたが、ありがたい面もあります。以下に説明します。
宿題は人生を教えてくれる
小学何年生の時だったか、もう覚えていませんが夏休み2週間目で宿題が終わったことがありました。
その年の夏休み、有意義に過ごせたかというとそうではありません。
特にやることがなかったから宿題が早く終わったのだと思います。やることなくて一日過ごす、というのも辛いですよね。
宿題で暇つぶし、という宿題の利用方法です。
大人で考えると、気を紛らわすために仕事をするようなものでしょうか。無職の時期って、とてもつらいものがありました。ただ生きて死ぬ、という悲しさを実感してしまいます。
しかしそのおかげで、仕事があるということのありがたさを感じることができたのです。
もしかすると、夏休みの宿題は人生を教えてくれているのかもしれませんね。
宿題は学ぶ近道
何かを習得しようとするときに、最も近道となるのはインプット→アウトプット→フィードバックのループを繰り返すことです。
宿題というのはまさにアウトプット→フィードバックで、授業で学んだことを自分の血肉にしていくために有効です。
学校を卒業すると、自分で宿題を見つけていかないとなかなかそういう機会はありません。今回は、この記事が私にとっての宿題です。
まとめ
宿題をやることのリスクについて心理学を使って説明しました。
一方で、宿題にはありがたい面もあります。どうせやるなら、宿題も楽しくやりたいですね。
嫌々宿題をやるくらいなら、「宿題をやらなくてもいいと思う理由」レポートでも書いてみたらいかがでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
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