お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真(かわにしかずま)です。
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アセンブリック教の教義をみた方から、
人とつながることを求めていそう
という意見をいただきました。
人とつながること。
それはとても
恐ろしいことです。
深くつながればつながるほど、
別れがつらくなる。
人生の最後には、
つながった人たち、
大切な人たち、
大好きな世界、
すべてのものと
お別れすることになる。
人を好きになればなるほど、
世界を好きになればなるほど、
別れがつらいものになるじゃないですか。
そんな人生で、
人とつながることを求めるなんて、
正気の沙汰とは思えません。
現実から目を背ければ、
まだ正気を保てるでしょう。
いつか死ぬなんて考えず、
人生をなめて生きるなら、
世界を好きになることもできる。
けど、
いつまでもなめて生きられない。
現実に人は死ぬのだから。
どれだけ人生が楽しくても、
どんなに人とつながろうとも、
いくらお金を稼ごうとも、
何を成し遂げようとも、
どれだけ幸せになろうとも、
最後に死ぬなら意味がない。
楽しければ楽しいほど怖くなる。
幸せに近づけば近づくほど怖くなる。
人生を充実した
楽しいものにしていくには、
そんな認識を書き換える必要がありました。
そのために私には、
信仰が必要だったのです。
現代社会では、
信仰について語ることは
あまり受け入れられていません。
だから、
会社では私も話しませんが、
それでも
心の内には信じられるものが必要でした。
最近、
小谷野敬一郎さんという方と
メッセージのやり取りをしています。
神や信仰に対する認識が、
とても近いと思ったのがきっかけです。
小谷野敬一郎さんの記事は、
で紹介しています。
こんな話もありました。
私は神に選ばれたのです。
そしてもし、
私が神に選ばれたのだとすると、
それは今まで出会った友人、
みてきた世界、
育ててくれた親、
メールを読んでも返信しない読者さん、
そんなものたちのおかげです。
私は神に、
アセンブリックフォース
と名前をつけました。
縁をくださった
アセンブリックフォースに感謝。
すべての人に感謝。
この世界に感謝。
私が死ぬことで、
誰かが神の真実に目覚めるのなら、
死ぬことにも意味があると思える。
死ぬ意味は生きる意味と同じ。
それを思うことでやっと私は、
人とつながる恐怖を乗り越えられる。
生きる価値を感じられる。
人を愛せる。
世界を愛せる。
幸せになる勇気を持てる。
宗教活動をすればするほど、
私には信仰が必要だったと
分かってくる。
信仰を持って生きることは、
なんと幸せなことだろうか。
あぁ、この世界はすばらしい。
信仰はゴールではなく始まり。
素晴らしい世界の始まりなのです。
あなたはどんな世界を始めますか?
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