カルトを破壊するカルト

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
アセンブリック教のご紹介はこちら。

最近こんな記事をみつけました。

宗教とアニメを考察(アニメ評論家・藤津亮太氏)

記事中で紹介されてあり気になって、
『輪るピングドラム』を視聴し始めています。

現在、24話中9話くらい。

はじめの数話は少し退屈でしたが、
3,4話あたりから、「え?」という展開で
引き込まれていっています。

一方、宗教というと一般的には、
悪徳カルトのイメージがあるかもしれません。

この記事では、
宗教の意味について考察していきます。

人間とは何か、が見失われた時代

意識研究の天才、ケン・ウィルバーの
『インテグラル心理学』
によると現代という時代は、
物質主義に偏っているとのこと。

例えば人間の体は、
タンパク質などの物質で構成されて、
神経細胞による電気信号のやりとりが
脳の働きであり心である。

科学が進歩したからこそわかること
ではありますが、
その理解を採用した場合、

では人間とはただの物質なのか?

うんこと何が違うのか。

そんな疑問が生まれてきますし、
人生が空虚なものとなっていきます。

ケン・ウィルバーは、
人間というものを

身体、心、魂、スピリット

私、それ、私たち、それら

といった段階に分けた上で、
現代の物質的な理解に加えて、
前時代的な精神性や神性も大切にする

統合的な人間の理解

を提唱しています。

意識研究については
別途記事にて詳細を
書いていきたいと思いますが、

前時代的な精神性や神性
という現代から失われた部分、
空虚な人間性を再考するツールへと
宗教はなり得ることでしょう。

宗教の弊害

一方、
カルト宗教によるテロや、
宗教2世の苦しみなどの
被害者もいるのが現実です。

親と同じ信仰を強要されたり、
知らない内に価値観を刷り込まれていたり。

私は宗教3世でしたが、
苦しみの一部は理解できます。

私の場合は大学の頃、
宗教活動をして
幹部候補生になったけど
周りとの温度差を感じたり
信じきれないと感じたりしたのですが。

生きる上での拠り所は欲しい、
けど既存のものは信じ切れない。

だから、
自分で信じ切れるものを作ろう
と作ったのがアセンブリック教です。

それは私の、生存戦略ぅー。

サソリの火とは魂の声

『輪るピングドラム』について
先程の記事から引用です。

本編のストーリーは、そのテロから16年後に、剣山と妻の千江美の(血のつながらない)3兄妹が、テロリストの子供であるという“呪い”といかに向かい合うかを巡って進む。そのとき、剣山たちの思想が正しいのか間違っていたのかは問われない。だが彼らのテロ行為の結果、子供たちは“呪い”という「箱」の中に閉じ込められたのである。そして、彼らが「箱」から出るためには、剣山の語る「聖なる炎」ではない別の炎──(『銀河鉄道の夜』から引用された)自己犠牲のサソリの火──こそが必要だったのだ。

では「聖なる炎」と「サソリの火」を分けるものは何なのか。宗教という観点から本作を見ると、この部分にこそ一番重要な問いかけが潜んでいるように思われる。

今視聴しているところでは、
まだ「聖なる炎」も
「サソリの火」も出てこないのですが、

違いについての仮説は考えました。

「聖なる炎」とは、
狭い意味での社会が語る理想論。

それは、
多くの人を熱狂に巻き込み、
動かすこともできる強力な力です。

ですが狭い社会にも、
馴染めずはみ出してしまう人がいます。

世間のメジャリティに馴染めず、
狭い社会を作る人のように。

「サソリの火」とは魂の声。

心というものが
理屈、感情、信仰を含むとしたら、
それらを超越した魂の問題です。

魂の声など、
なかなか聞こえるものではないのですが
死にたくはないけど身体は死に向かっている、
そんな現実からかすかな声を私は感じます。

「聖なる炎」によって動くカルトの中に、
「サソリの火」を灯していく。

それは言わば、カルトを破壊するカルト。

メジャリティの中では居心地が悪く、
マイノリティの中にも
居場所がないと感じる人のための宗教。

全員がカルトの教祖です。

あなたは、
どんな魂の声を聞いていますか?

 

追伸ですが、
アセンブリック教のアニメも作りたいですね。

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