生きるために働く時代は終わりました

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
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最近、
将来の自分の姿として

中高年ひきこもり

というのが見えてきました。

現在それなりに
大きな仕事をやっていますが
もし何かのきっかけで
仕事をやめることになったら
ひきこもりになる可能性は、

サイコロを振って
3以上の目が出るくらいの確率

だと思います。

根拠は、休日の過ごし方です。

ほぼ一歩も外に出ないので……

そこで危機感を感じて、
ひきこもりについての本を
2冊だけ読みました。

どうすれば
引きこもりにならなくてすむのか、

もしもなってしまった時、
引きこもりから抜け出せるのか、

それらが不可能であれば、
どうすれば
快適な引きこもり生活を過ごせるのか。

この記事では、
そのあたりを考えていきたいと思います。

「引きこもり」とは、困難な状況にあるまともな人

「引きこもり」とは
どういう人のことなのか、
その定義は厚生労働省などによると、

1.6ヶ月以上、自宅に引きこもって社会参加をしない状態が持続すること。
2.ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいこと。

休日に引きこもる程度の私は、
今の所引きこもりではありませんね。

また、
うつや統合失調症で活動できない場合も、
統計上の数字には入ってきません。

それをふまえて、
2019年の内閣府の調査によると、

満40歳から満64歳までの
ひきこもりの出現率は1.45%で、
推計数は61.3万人。

私のような
引きこもり予備軍を加えると
潜在的な数字はもっとある
のかもしれません。

しかし、ここでいう「引きこもり」とは
こうした「状況」のことで
人のことではない。

休日に引きこもる程度の私は、
今の所引きこもりではありませんね。

「引きこもり」は楽じゃない

よくある誤解が、
引きこもりなんて甘えている、
楽をしている、というもの。

20年以上
引きこもり支援を続けてきた、
斎藤環さんの本
『中高年ひきこもり』
によると、

もしひきこもりが単なる怠けなら、
彼らはみなひきこもり生活に満足しているはずです。

ところが彼らは満足するどころか、
ずっと苦しみ続けています。

近所の人からの視線におびえ、
親を恨み、
自分を責め続ける日々。

(中略)

なぜ、彼らは自分自身を嫌うのでしょうか。
自らの人生に、価値や意味を見出だせないからです。

他人に理解されない苦しみの中にいて、
自分自身を責めている姿が思い浮かびます。

働くこともなく、
誰とも会うことなく、
ただ家族に食べさせてもらっている。

そんな状況が嫌で、
だけどどうにもならず、

「こんなはずじゃなかった」
「もっと自分の人生には価値があるはずだ」
「生きる意味があるはずだ」

現実の壁は高く、

「働いたら負け」
と新しい価値観を持とうとするも
それもうまくいかない。

まるで壁の中にいるようだ。

良き人であろうとすればするほど
苦しんでしまう。

引きこもりの状況にある人の
そんな苦しい毎日を思えば、
休日に外に出ない程度の私は、
今の所引きこもりではありませんね。

食べるためには働けない

「働かざる者食うべからず」

そんな古い価値観があります。

プライドと合わさって、

「働かない自分は食べるべきじゃない」
「生きる資格がない」

と、自分を責めてしまう。

だから働かなければ、
と思うもうまくいかない。

それは、当たり前だったのです。

今はもう、
食べるために働ける時代ではありませんので。

生活保護でも、
近所に助けを求めるでも、
親に養ってもらうでも、
子供に養ってもらうでも。

働く以外に食べる手段はある時代です。

ではなぜ働くのか?

斎藤環さんによると、
今や働く動機は
生存欲求ではなく承認欲求
だそうです。

生きるため、ではなく
認められるため、
ということですね。

当たり前に生きていける社会
という意味では良いことです。

そうした社会でこそ
別の欲求が生まれ……

「ただ生きるだけではだめ」になります。

働かない人、
仕事ができない人は社会に認められず、
そんな社会の価値観に影響されてか
自分自身も認められない。

それが嫌だから、
生活保護を受けたくないから、
現代人は働くのですね。

もちろんそこをクリアすれば、
また別の欲求に苦しむのでしょうけど。

「引きこもり」
が認められる社会になれば
ずいぶん楽になる人が増えると思います。

自分を責めなくてもいいし、
他人から責められることもありませんからね。

ですがそう簡単には
社会の価値観は変わりません。

ならば困難な状況に陥った時、
どうやって抜け出すか
方法を考えておいたほうが
リスク対策となるでしょう。

あ!

リスク対策といえば。

現代人はリスク感知能力が衰えている

昨日と同じ今日、
今日と同じ明日。

 

リスクが考えられない人が
多くなってきています。

「自力で何とかなる」という思い込みを捨てる

斎藤環さんによると、

本人が
「自力で何とかなる」という考えを捨て、
第三者の力を借りて社会参加に向かおうと
自発的に思ってくれれば、
その時点でひきこもり問題はほぼ解決した
といっても過言ではないでしょう。

他人の力を借りなくても
自分で何とかできるという思い込みは、
依存症の心理とよく似ているそうです。

家族の問題だから家族の中で、
というのも同じ。

”家の中にひきこもりがいることに関して、
世間体を気にして隠そうとしたり、
第三者には相談せず
自分たちで解決しよう”

通常の個人が持つ、
家族との接点と、
社会との接点は、

「自力で何とかなる」

という思い込み、
言い換えれば
他人の力を借りたくない思いによって

繋がりを絶たれてしまいます。

あなたは困難な状況にある時、
他人の力を借りることができますか?

他人の力を借りればいい
と知っていたとしても
いざ困難な状況になった時に、
思い込みを捨てることができるのでしょうか。

「できる」
というのが思い込みではない
と言い切れますか?

安全な社会は危険感受性を奪う

思い込みの背景には、
安全になってきた社会があるかもしれません。

水や電気が安定して供給され、
年中エアコンの効いた
快適な環境で暮らすことができる。

そんな社会で、
危険を危険だと思わない、
危険感受性のない人が増えるのは
当たり前だ。

というのが安全管理の話であります。

現場の作業においても、
法律や管理システム、
安全文化が発展した結果、

個人の危険感受性が低下している、
と問題となることがあるのです。

戦争がなければ
平和という言葉は生まれなかった
なんて話にも近いかもしれません。

危険感受性がないから、
ついついスリルを求めて
腐った肉を食べてしまう。

危険感受性を高めるために、
過去の災害事例を紹介したり
擬似的に体験して自分ごととする
という取り組みが行われています。

安全を描きたいなら、
安全でない部分を描く。

これは娯楽についても同じ。

『鬱屈精神科医、怪物人間とひきこもる』春日 武彦

50歳を少し過ぎて、
仕事をすべて辞めて
ひきこもってみた精神科医の本です。

ひきこもり期間中に、
バッドエンドな物語に癒やされたといいます。

人は物語を通して、
擬似的な体験ができる。

物語を利用すれば、
安全な状態にありつつ、
危険や恐怖を味わえるのですよね。

ホラー映画や絶叫マシンのようなもの。

そんな心が癒やされるような
破滅の物語を描いてみているので
読んでみてください。

人間は間違った存在であり滅びるべき
こんなお話を考えました。  将来の自分が見える。 引きこもって無気力で、 他者からの支援の手を 払いのける姿。  彼は他人には救えない。  彼に救いの手を差し伸べるのは…… しがない画家、Kの破滅の物語。 ショートショート 『Free Wa...

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