生きる理由 目的 価値 意味を探すために生きる

日常を楽しむ

お元気ですか、かにかまです。
かにかまって何?⇒プロフィールはこちら。

「何のために生きているんだろう」
ふと疑問に思うことはありませんか?

考えても考えても答えが見つからず、
「生きる価値なんてない」
と結論付けそうになることは?

この記事では、
頭がおかしくなるくらいに
生きる理由を探していた私が
「何のために生きるのか」
について書きます。

いつになく重い話になるでしょうから
覚悟してお読みください。

生きる目的を生きる手段にする

最近、現場で
鳥がひっくり返って
死んでいました。

それを見て、
「あ~自分もいつ
ひっくり返って死ぬか
分からないなぁ」
なんて考えます。

悲しいとか、
そういうことはなく
淡々と片付けたんですけどね。

それでも、
鳥と人間って
どう違うんだろう
とか思うわけです。

鳥が生きている意味は何なのか。
自分が生きている意味は何なのか。

鳥と人間で、
生きる意味に
違いはあるのでしょうか?

「どう生きればいいんだろう」
って、今まで多くの人が
問いかけてきたものだと思うのですが、
答えってないですよね。

「こう生きればいいんだ」
なんて、他人に生き方を
押し付けられるのも嫌ですし。

現場でひっくり返っていた鳥は、
こういう生き方でよかったんだろうか。

自分の生き方はこれでいいんだろうか。

そんなことを考えすぎて、
その日は仕事がいつの間にか
終わっていました。

時間を忘れて熱中するとは、
こういうことかもと思います。

と、同時に
自分は何のために生きているのか
という問いへの
自分なりの答えに気付きました。

多分、
生きる意味とか、何でもよくて
最強なのは意味なく生きられることです。

ただ、
意味もなく生きることに耐えられない
理由がなければ生きられない、
という人もいることでしょう。

それも人間らしさかなと思います。

そういう人は、
何でもいいから生きる理由を
でっち上げればいいのです。

何のために生きるのか、
という答えを自分で決めるのも
私たちに許された自由ですよね。

食べるために生きる
でもいいし、
楽しむために生きる
寝るために生きる
でもいいと思います。

私は、
「何のために生きるのか」
と問い続けるために生きる
にします。

目的がなければ生きていけない
気がするし、
たいそうな目的なんてないような
気もするし、
「何のために生きるのか」
と問い続けることを目的にするなら、
しばらく生きる理由が
途切れることもなさそうだからです。

あなたは
生きる理由がなくても
生きていけますか?

死ぬことをなめてる

考えてみれば私はずっと、
頭がおかしくなるくらいに
生きる理由探しに夢中
だったのだと思います。

ある日、仕事からの帰り道、
ハトが道路で死んでいました。

何台もの車に轢かれ、
ペチャンコです。

「あ~自分も道路で死んで
車に轢かれ続けたら、
あのハトと同じになるのかなぁ」

なんて言っていると、

「頭おかしいんじゃないか?」
「心を病んでいるのか?」
「大丈夫か?」

と、同僚から言われました。

生きる理由がないなら死んでいい
くらいに思っていたのです。

今思えばその考え方は、
死ぬということをなめています。

だって死ぬとかきっと痛いですよ?
苦しいですよ?
しかも生き返れないんですよ?

生きるとか死ぬとか
考えている割には
本当の死というものを
見つめることはできていませんでした。

「だからお前はいつまで経っても
かにかま(偽モノ)なんだ」

と誰かに言われそうです。

まぁいいんですけど。

死ぬとか怖いし。

あなたは何か、
頭がおかしくなるくらいに
夢中になってしまうこと、
ありませんか?

そんな時、
真実を見失っていないでしょうか?

「死」から目をそらすために正当な理由付けをする

「クリエイティブ・アボイダンス」
(創造的逃避)
という、 何かと理由付けをして
現実から目をそらす能力が
私たちにはあるそうです。

この能力によって
作り出された理由は正当なもので
否定することの難しいものです。

例えば忙しい時ほど
他のことが気になって

「あれもやらなきゃ」
「でも先にこっちをやってからにしよう」
「あ~もう時間ない……」

なんて、
やるべきことを後回しにする癖、
ありますよね?

「やるべき」
と考えていることが
実は本当にやりたいことではないから
なんとか理由付けをして逃げよう
とする心の働きです。

では、
生きる理由を探してしまうのは
一体何から逃げているのでしょう?

目的も理由も価値も意味もなく「ただ生きる」ことができる人

そういう人こそ、
人は死ぬ、という現実を
受け止められている人です。

おそらく私は、
そういう生き方をできないでしょう。

死ぬという現実から逃げ続け、
生きる理由を探し続けて
生きていきます。

人生なめてるやつにとって、
「死」とはどこか遠く
異世界にあるようなものだからです。

腐った肉だけは別ですが。

たどり着いた「人生なめてる」という言葉

生きる理由探しを続けてきて、
ふと気づくことがあります。

必死で生きている人は
生きる理由なんて探さないんじゃないか
ということです。

「必死」という言葉は
「必ず死ぬ」と書くように、
死ぬことを受け止められている人の言葉ですよね。

どこかで、
「自分だけは死なないかもしれない」

「永遠に生き続けられるかもしれない」
と考えている人生なめてるやつには
似合わない言葉です。

その割に
「自分は死ぬべき」
なんて考えもあるから
創造的逃避で生きる理由を探しているのです。

そんな自分は、
「人生なめてる」
と思います。

最後に少し厳しいことを書きます

ここまで読んだあなたは、
もしかしたら、
「自分は人生なめてない」
と思っているかもしれません。

そんなあなたは、
自分では真剣に生きてきた
つもりでしょう。

でも、
薄々気が付いていますよね?

どこか本気になれない自分に。

そんな自分が嫌で、
真剣なフリをしてきたのですよね。

いつまで逃げるつもりですか?

いつか死ぬという現実から逃げ、
逃げている自分自身からも逃げ、
そろそろ逃げ疲れてきたんじゃないですか?

あなたはもう、
真剣に生きているフリをしなくていいんですよ。

等身大の自分を認めてあげましょう。

「自分は人生なめているのかも」
と思った方はこちらをお読みください。

コメント