ジブリ映画『君たちはどう生きるか』感想と考察

お元気ですか、
アセンブリック教団代表
河西数真()です。
アセンブリック教のご紹介はこちら。

ジブリ映画、
『君たちはどう生きるか』
を観てきました。

この先、ネタバレがあるぞ。

まず感想としては、
登場キャラクターたちが可愛らしく、
映像もきれいで
ジブリ感、異世界感がすごく楽しめました。

湯婆婆の集団が出てきたところなどは、
もうワクワクし過ぎて
映画館で笑い出しそうになって大変でした。

ちょっと不気味なところも味わいがあります。

湯婆婆の集団に続いて、
わらわらたち。
アオサギの中の人。
インコの王様と兵隊。

不思議の国のアリスみたいです。

奇妙な出会いと体験の連続に、
クトゥルフ神話TRPGだったら

「SANチェックですねぇ」

と言いたくなる場面の連続。

そろそろ主人公は発狂したのではないか?
と、心配になったのと
異世界に引き込まれて没頭していたのとで
ストーリーを考える暇はありませんでした。

見終わった後、
「もう一回観たいよね」
と意見は一致しました。

それから一週間、
彼女の姿を見た者はいませんが
映画を思い出しながら
ストーリーについて考察したので
記事を書いてみます。

あくまで私の解釈です。
ご注意ください。

主人公の現実

主人公の現実はなかなかハードです。

冒頭で母親が死に、
2年後に父親が母親の妹と再婚する。

母親のいた病院を燃やす炎の中に
飛び込もうとして飛び込めない光景は
夢の中でフラッシュバックして
目が覚めたときには涙が流れている。

子供である主人公にとって、
現実を受け入れられなかった
のではないでしょうか。

「お母さん、僕もそっちにいくから」

という台詞はなかったかもしれませんが、
母親のいる世界に行きたい、
あるいは戻りたい。

直接表現すれば、
死にたい。

冒頭で主人公は
そのように強く願っていた
のではないかと感じられます。

学校帰りに喧嘩して、
道端の石で自分の頭を傷つけ、
血をだらだらと流していたシーンも、

現実の否定、
母親のいない世界で生きている自分の否定

という表現ではないでしょうか。

空想は願望が析出して結晶化したもの

そろそろ主人公は発狂したのではないか?
と、心配していたと言いましたが
本当に発狂していたのかもしれません。

不思議な出会いと体験の連続を

主人公の発狂、妄想、空想

と考えることができる気がします。

これは私の理解ですが、
空想というのは狂気のようなもので
現実では抱えきれない願いが
濃縮して析出し、結晶となったもの。

結晶とは、
原子、分子、またはイオンが、
規則正しく配列している固体です。

水溶液から、
食塩結晶やミョウバン結晶を
作った記憶はありませんか?

きれいでしたよね。

死んだ母親のいる世界で生きたい
という主人公の願いは
現実世界では決して叶わないものです。

その願いの濃度が濃くなって、
現実に溶け込めなくなり析出、
結晶化したものが
塔の中の世界であり、
主人公の狂気の世界であり、
かわいくてきれいな世界。

わらわらたちかわいい。

はい、SANチェックです。

世界が壊れる時

狂気は人の精神を守る防衛機制。

命がけで逃避した狂気の世界も
いつか壊れる時がきます。

守らなくても良いくらいに
精神が成長した時や、
抱えきれなかった願望を
溶かせるくらいに
現実世界が広がった時。

狂気の世界では恐ろしかった
セキセイインコの兵隊も、
広がった世界で見れば

「まあ、かわいい」

と言えるようになります。

子供が必死になる姿を、
大人がかわいらしいと思えるように。

子供の頃には、
どこかにお宝があるような
そんな気がしていた家や庭が、

大人になれば帰って寝るだけの場所になるように。

随分遠く感じた通学路が、
ジョギングの周回コースになったり、

冒険ばかりだった世界が、
平穏な日常に変わったりするように。

広がった世界は元に戻りません。

必死で逃げ込んでいた
狂気の世界が壊れる時、どこか

氷を抱きしめたような、
切ない悲しさ、美しさ
(坂口安吾『文学のふるさと』)

を感じるのは私だけでしょうか。

人間の住む世界

私が思うに人間は
空想と現実の汽水域
に住んでいます。

現実と空想には、
はっきりとした境界があるわけではなく、
川と海の狭間である汽水域のように
お互いに混ざり合って、
潮の干満によって濃度も変わるもの。

汽水域には
アユ、サケ、サクラマスや
サツキマス、ハゼ、ボラ、
スズキ、ウナギなど
海と川を往来する魚が数多く生きています。

サンショウウオも生きているかもしれません。

海と川がつながる場が
多くの魚にとって必須であるように、

空想と現実がつながる場が
多くの人間にとって必須なのです。

なぜかといえば、
現実だけでは精神が
耐えられないこともあるし、

かといって空想の世界に逃げ込んで
戻ってこれなくなってもいけないし、

戻ってきたとしても
世界を忘れてしまっては
自分自身の存在意義をも忘れてしまうから。

主人公の名前は、
真の人と書いて真人(まひと)。

真の人とは、
願いの結晶が砕けたそのかけらを
ポケットに入れて
現実世界を生きるのだと思います。

私は空想と現実のつながりを守りたい。

そう言って去った彼の姿を
その後、見た者はいない……

世界を継ぐもの

彼が去った後の
世界を継ぐのは誰でしょうか。

この映画は、
継承の拒絶物語
だと言う解説を見かけました。

3行でわかる『君たちはどう生きるのか』

大叔父 自分を継いで、世界を救え!
眞人  嫌だ!
大叔父 じゃあ、自分の世界を作れ!

以上

やはり、「3行」で説明するのは無理か・・・。

物事は、シンプルに考えた方がわかりやすい。
このたった3行の「継承の拒絶」こそ、
『君生き』理解の重要な鍵となります。


『君たちはどう生きるか』 【精神科医が解説】

なるほど! と思いました。

そして「継承の拒絶」
というキーワードで
私が思い出したのは、
火継ぎの物語。

ダークソウルです。

塔の中の世界で、
アノール・ロンドの梁渡りの場面がありました。

少女ヒナにつれられて
火の中を移動するシーンは、
篝火転送であり、
ヒナはダークソウルでいえば火防女。

精神科医の樺沢紫苑さんは、
世界を救う継承の物語だといいます。

ダークソウルのエンディングは2種類。

世界を照らす火に、
自らを捧げることによって火を継ぎ、
世界を救う継承ルートと、

火を消して
呪われた不死の世界の王となる
継承の拒絶ルート。

人間らしいのはどちらか?
人間性を捧げよとのメッセージの意味とは?

ダークソウルでは、
しっかりした説明はなく
とりあえず戦っていきます。

私たちも同じように
何も分からず世界に放り出されて
失敗しながら学び
やがて、王になる。

ああ、亡者の王よ……

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