「人間的に魅力がない」と言われた時にすべきこと

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「人間的に魅力がない」
なんて言われたらどうしますか?

私は最近時々言われることがあります。

その度に、
「人間的魅力とはなんぞや?」
と考えてしまいます。

そこで
人間的魅力について調べてみました。

一般的には
「一緒にいて楽しい」
「また会いたいと思う」
といったことが
人間的魅力のようですね。

つまり
「人間的魅力がない」
と言われることは、
「一緒にいてもつまらない」
「もう会いたくない」

と言われているのと同じです。

そんなことを言うなんて
失礼ですよね~

そういう人こそ、
人間的魅力がないのではないでしょうか。

バカっていう方がバカなんでー

人間的魅力マウンティング、
あると思います。

でもなぜそう思われるのでしょう。

「失礼な!」
という気持ちを一度飲み込んで、
「人間的魅力がない」
について、考えてみます。

その他の人間的魅力シリーズはこちら。

人間的魅力がないとはどういうことか

まずは、
「一緒にいてもつまらない」
「もう会いたくない」
と思われるのはなぜかを考えてみます。

性的魅力がない

やっぱり、
相手がかわいい女の子だと、
「一緒にいて楽しい」
「また会いたい」
と思いやすいはずです。

ということは、
「人間的魅力がない」とは
「性的魅力がない」
と同じ意味なのかもしれません。

モテる人というと、
人間的魅力がありそうですものね。

逆に、
人間的魅力がある人はモテる
といっても違和感ないですね。

でも、
モテる人
という定義がまた
ややこしいです。

ある人にはモテるけど
別の人にはモテない
とか、
ある環境ではモテるけど
別の環境ではモテない
といったことがあるからです。

多くの人にモテる人でも、
ある人からみれば、
魅力を感じなかったり、むしろ
「調子に乗りやがって」
みたいに思われることがあります。

私自身、
「モテなさそうなとこが好き」
なんて言われたことがあります。

モテるかどうかは
人や周囲の環境によって
変わるものなのです。

では他に、絶対的な
人間的魅力の要素は
あるのでしょうか。

話が面白くない・通じない

いわゆるコミュ障の人は
人間的魅力がない
と言われます。

何を話しても、
「あぁ、そう」
「へー」
のような返事しか返ってこなければ
一緒にいて楽しい
とは思われにくいでしょう。

やはり人には、
他人と話をして理解し合いたい
という欲求があるのです。

ただ、
「うまく話せない」
と悩んでいる人に
魅力を感じる人もいます。

例えば、
いつも面白い話ばかりする人とか、
いつも話の反応がいい人とか、
私はちょっと苦手です。

なんとなく、
仮面をかぶっている
感じがするからです。

逆に話が苦手な人に、
親近感や伸びしろを感じます。

また、
生まれたばかりの赤ちゃんは
話ができませんが、
魅力を感じますよね。

話ができない人でも、
人によって魅力的だったり、
そうじゃなかったりする。

その違いはなんでしょう。

不快な思いをさせられる

「人は感情で判断し、
理性で理由を後付けする」
という、脳科学の仮説があります。

その仮説に従うと、
話が面白くないから……
と理由付けしていても
結局は一緒にいて不快だから
人間的魅力を感じない
ということになります。

そして
人によって何が心地良くて
何が不快なのかが違うから
人間的魅力とは何か、
一概に言うことはできないのです。

それでも、何か共通点は?
と気になりますよね。

本気さ・覚悟がない

何か一生懸命な人には、
人をひきつける魅力があります。

それは多くの人に、
「本気で生きたい」
という欲求があるからではないでしょうか。

例えば赤ちゃんは、
生きることに必死ですよね。

そんな姿に、
元気をもらえることもあります。

一方で、
私は本気になれない人です。

本気になれないやつの特徴

だから
「人間的魅力がない」
なんて言われるのかもしれないですね〜

面倒くさいことを考えすぎ

私が
「人間的魅力がない」
と言われた時は、
こう言われました。

世のなかはどうなっているのか、
人生とは何なのか、
など、答えのない考え事は大好きです。

「なんかいっつもしょーもないこと
ばっかり考えとるよね?」

なんて言われることもありましたが、
好きなものは好きなのです。

世の中の多数派は、
しょーもない考え事が
好きではないのかもしれません。

でも、
人間的魅力のために
自分の好きなものを変えるというのは、
なんだか違うような気がします。

そんなの
仮面をかぶって生きることですからね。

人間的魅力がない「一面」を認める

人間的魅力がない、
だから何?

人間的魅力のために
自分を偽って生きるくらいなら
人間的魅力を捨てます。

と思っていました。

人間的魅力があるかどうか
という考えだったんですよね。

人間的魅力なんて
ほとんどが相対的なものです。

例えば、
人間的魅力がない
と言われた人にしか
その痛みは分からないかもしれません。

好きなことにこだわる姿が
実は魅力的かもしれません。

人間的魅力がない
と言われるということは、
何でも物事が言いやすい
という魅力があるのかもしれません。

だから私は
「人間的魅力がない」という言葉に
こだわることはやめようと思います。

人間的魅力がない、
そんな一面もあるかもしれないし、
別の面では魅力的かもしれない、
それが自分です。

別の誰かが見たら
違う見え方をするかもしれません。

あなたがもし、
「人間的魅力がない」
なんて言われたとしても、
それは一面を表しているだけです。

その言葉にとらわれて、
本来の魅力を抑え込んでしまったら
もったいないと思いませんか?

一面を認めた上で
良い生き方を探っていく。

その姿勢がすでに
魅力的なのではないか

と私は思います。

「魅力的になりたいなら、
魅力的になろうとしてはいけない」

という逆説的な言葉を送ります。

この本のタイトルパクリ
なのですけどね(笑)

あなたにしかない魅力を
探っていきませんか?

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