お元気ですか、かにかまです。
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「本当に5㎏太りたいんだろうか」
これは私個人の悩みで、
あまり興味のある人は
いないかもしれません。
だから、
さらっと書くつもりで
メルマガを書いたのですが、
書き始めると勢いに乗って、
思いのほか書けてしまったので
ブログ記事にします。
以前、こんな記事を書きました。
すごく痩せやすくて、
危機感を感じていたのです。
気が付いたら3kg痩せていたから、
3カ月で5kg太る
という目標を設定しています。
ところが、
この目標を人に伝えたところ、
本当にそれが一番優先したいことなのか
疑問です、
という意見をもらいました。
自分が優先することは
自分で決めるべき
という思いはあります。
ですが、
自分が優先したいと
思っていることが
本当に心の底から優先したい
と思っていることなのかどうか。
それは一度考え直してみても
いいような気がしました。
自分の欲求を勘違いしていることは
よくあることですからね。
ということで、
考え直してみてます。
私は小さなころから太りにくくて
さらに小食で、
家族からは
「もっと食べなさい」
「もっと太った方がいい」
と繰り返し言われてきました。
痩せている我が子を見て、
なんだか不幸そうで
親としての責任とか、
かわいそう
という気持ちがわいてきて、
嫌で嫌で仕方なかった
のかもしれません。
「もっと食べなさい」
は親からすると
「もっと幸せになりなさい」
という意味だったと思います。
幸せの押し付けとか
とてもうっとうしいですけどね。
無意識で、
親の価値観に影響されていたとすると
「痩せている自分はだめだ」
と思うことでしょう。
とすると、
「もっと太りたい」
とは、
「痩せている自分を認めたくない」
という自己否定から来る、
いわば偽物の欲求です。
偽物の欲求に従って
目標達成に向けて
頑張ることはできると思います。
今までそうしてきましたから。
宗教にはまったりとか、
自己啓発にはまったりとか、
何か自分を追い込んでいないと
生きていけなくて、
トライアスロンを始めたりとか。
その過程には、
自己否定がつきまといます。
しんどいものですよ。
そのしんどさを、
我慢して結果が出ることもあります。
ただし、
下手に結果が出て、
我慢することに慣れてしまうと
自分の欲求がわからなくなります。
例えば、
食欲がなくて、
でも食べなさいといわれ、
我慢して食べることに慣れてしまうと
食べ物の味って分からなくなります。
食べることが拷問
のように感じるでしょう。
高校生の頃、
「食べることは嫌い」
と言うと、
家庭科の教師に
驚かれたことがあります。
人間は、
食べるために生きているようなもの
という、当時の教師が言ったことが
全く理解できませんでした。
今は少し分かります。
おいしいお肉を食べたいし、
高級ブランデーとか飲みたい。
そういう欲を、無意識に
我慢していたのだと思います。
我慢することに慣れてしまったから
腐った肉を食べてしまったのかな
と反省しています。
あなたの優先したいことは、
本当にあなた自身が
心の底から望んでいることでしょうか。
取り組んでいる最中に
自己否定による
「しんどさ」
ってありませんか?
一度考えてみるのも良いと思います。
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