お元気ですか、かにかまです。
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今までこのブログでは、
以下のようなことと
自己啓発の関係について
書いてきました。
- 仕事
- 宗教
- 哲学
- ブログ
- 情報商材
- 筋トレ
- トライアスロン
- ロードバイク
今回はふと、
「どうして自分は自己啓発をやっているのか」
を振り返ってみました。
多分、ドロドロした内容になると思います。
「ただ生きている自分」が許せなかった
中学生の頃の話です。
世界には恵まれない人たちがいること、
毎日の食事があることが
当たり前ではないことを
授業で学びました。
また、インド独立の父、
ガンジーの言葉で
「地球は、すべての人の必要を
満たすことはできても、
彼らの欲を満たしきることはできない」
というものがあります。
自分が欲を持ち、満たすことで、
恵まれない人たちはさらに苦しむ。
世の中はゼロサムゲーム。
そんな話を聞いて、
「欲を持つことはいけないことなんだ」
という思いが徐々に
刷り込まれていきました。
ちょうどその頃、
家にあったこんな本を読んだのです。
精一杯生きている人がいる一方で、
「ただ生きている」
自分がいる。
そのことに、恥と罪悪感を
感じるようになっていたのだと思います。
もちろん、
それまでの人生で、
楽しいこともたくさんありました。
「ただ生きている自分」
を否定しながらも、
「生きることは楽しい」
という矛盾。
そこから、
「何かを人生で成し遂げたい」
「砂漠緑化をしたい」
「そのために健康で長生きしたい」
「長生きすれば
何か成し遂げられる可能性があがる」
なんて思っていました。
だからこそ、
ケガや体調不良で動けない自分に
腹を立てたり、
ただ平凡に過ごす日々に
虚しさを感じたり、
何か前進しているという感覚を
味わいたくてゲームの世界に逃げたり
したのだと思います。
宗教にはまっていたのも同じです。
筋トレやトライアスロンを
始めたのも、同じです。
表面上は健康的に見える
趣味かもしれません。
でも私の奥にあったのは
「ただ生きている自分が許せない」
という自己否定でした。
自己否定に気付かないとこうなる
気付かず自己否定をしている人の
特徴をあげてみましょう。
典型的なのは、
「食べる時間がもったいない」
とか、
「寝る時間を削る」
とかです。
生きる欲までなくなってきて、
自己犠牲的になります。
私はもともと
食欲があまりなかったのも
ありますが、
2~3日何も食べなかったりすることが
月に1回くらいありました。
短時間睡眠法の本を読んだりして
4時間睡眠を試したりもしました。
高校生の頃、
そうして無理やり作った時間で、
狂ったように勉強したり、
ついついケガをするまで
部活の練習をしてしまったりしたのです。
そして、
自己犠牲的な自分がかっこいい
なんて思うようになります。
日本では、自己犠牲は美徳、
という考えがあるからでしょう。
例えば、
プライベートを犠牲にして働くことで
上司に気に入られたり、
ホコリまみれになって働くことで
「なかなかそこまでする人はいない」
と感動してもらえたりです。
自己否定している人は、
当たり前のように
自己犠牲的になれます。
転職の時にも、
身を粉にして働けます
というアピールが
役立ちました。
「ただしんどいだけ」
と多くの人が思う
以下のようなことでも、
自己否定をしていれば
「できてしまう」のです。
- ただ生きている自分が許せない
- 食べる時間、寝る時間を削る
- ケガをするまで頑張ってしまう
- そんな自分がかっこいいと思う
- プライベートを犠牲にして働く
- それが当たり前と思っている
あなたもそんなことがないでしょうか?
自己否定に感謝する
自己否定があったからこそ、
今健康でいられるし、
トライアスロンや筋トレを楽しんだり
ブログを書いたりできています。
自己否定をすることで、
「生きづらさ」
があるのは事実です。
「ただ生きている」
「幸せになる」
そんなことが自分に許せないですからね。
昔読んだ漫画『巨人の星』で、
「二死満塁のような切迫感にこそ
魅力を感じる」
というような主人公のセリフがありましたが、
そんな感じです。
しんどい思いをしている時こそ
生きていると実感できるし、
そうじゃないときは、
つい自分を痛めつけようとしてしまいます。
下手をしたら、
リストカットにはまっていたかもしれません。
痛めつける方法が
トライアスロンや筋トレで
良かったです。
本当に。
それでも、
自己否定のおかげで、
しんどいことも楽しんでこれました。
私にとって自己否定の心は
今まで自分を行動させてくれた、
いわば大切なパートナーです。
気付けたところで
すぐには手放す気になれません。
長年気付かず放置していると、
愛着みたいなものが湧いてきて、
手放しづらくなるから
「生きづらさ」を抱えたくない人は
早めに気付いた方がいいですよ。
自己否定には気付けない
早めに気付いた方がいい
とはいうものの、難しいと思います。
ほとんどの場合、
無意識でやっているものだからです。
私もここ1年くらいで
徐々に気付いてきました。
気付いて受け入れてしまうと、
不思議と「生きづらさ」が
軽くなったような気はします。
どうやって
当たり前になっていた
自己否定に気付くことができたのか、
については次回以降で書きたいと思います。
あなたが自己啓発に興味を持ったのは、
もしかして、
自己否定からではないですか?
もしそうなら、
漠然とした「生きづらさ」
を感じているはずです。
その「生きづらさ」
抱えて生きていきますか?
それとも解消したいですか?
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