お元気ですか、かにかまです。
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「誰かを救いたい」
「人の役に立ちたい」
そんな風に思うことはありませんか?
人のためを思える心というのは
美しいものですよね。
私も、人生に悩む誰かを
救いたいと思っています。
でも逆に、
「救いたい」
という言葉には
うさんくささも感じませんか?
例えば、宗教にはまった友人が、
「お前を救いたい」
といっても、
「いや、必要ないし……
むしろお前を救いたいわ」
と思ってしまいますよね。
人はなぜ、
「救いたい」
と思うのでしょう。
今回は、そんな
「救いたい」
という心について
考えてみました。
美しい心の裏側に何があるのか。
ではみていきましょう……
救いたいけど救えなかった人
かつて宗教活動をしていたころ、
友人やグループ員の
悩みを聞いていました。
いじめの問題やお金の問題、
病気の問題など、
正直抱えきれない悩みもあります。
そして自分の宗教は正しいと
信じ込んでいたので、
「信じれば絶対解決するよ」
などと、無責任なことを
言っていました。
当時は、それだけが相手を救う方法だと
信じて疑わなかったのです。
当たり前ですが、
信じたからといって
願いがすべて叶うわけではありません。
例えば、部活でケガばかりしていたこと。
「もうケガをしない」
と信じて祈るも、
ケガをしないためには
何が大切なのか分からず、
また本気で調べようともせず、
インターネットの情報のみで
雑多なことをしていました。
体幹トレーニングとかね。
今思えば、原因は
たんぱく質不足でした。
トレーニングで傷ついた肉体を
回復するための栄養が足りないのですから
ケガを繰り返すのも当然ですね。
それくらい当然のことが
分からなかったんです。
「救いたい」
なんて言っている自分こそ
救いようのない人でした。
「ただ生きる自分」が許せなかった
考えてみると、
誰かを救いたいというのは
実は、誰かを救うことで、
自分の人生に意味を見つけたい
という思いからきていました。
世界では貧困のために
生きたくても生きられない人がいる。
恵まれた環境で生きる自分が
「ただ生きる」ことは、
その人たちに失礼じゃないか、
と罪悪感を感じていました。
そして、どう生きればいいのか、
と考えていたときに
出会ったのが宗教でした。
「生き方」への答えを
宗教に求めたんです。
本当に自分が救いたかったのは、
正しい生き方が分からない
自分自身だったのでしょうね。
「自分を救うために他人を救う」の何が悪いの?
何も悪くありません。
自分が一番大切なのは
当たり前です。
一人でもそれで救われる人がいるなら、
素晴らしいことじゃないですか。
聖書にも書いています。
自分自身を愛するように、
他人を愛しなさい
と。
自分自身を愛することができなければ、
どうやって他人を愛するのでしょう。
でも、本当に自分を救いたいとは思っていない
どこかで、
「人生どうでもいい」
と思っていました。
「ただ生きている自分」
が許せなくて
何もしない、何もできないのなら
死んでしまえと思っていました。
体調が悪くて寝込んでいる時、
自分に腹を立てたり。
平凡な日常に耐えられず、
常に何かに挑戦していたのかも
しれません。
真面目にやっていれば、
どこかの誰かが
「救ってくれる」
とか。
過去の自分を振り返ってみると
私は「救われたい」
と思っていたのだと思います。
だけどその気持ちのままでは
幸せになることはありません。
考えることをやめて、
依存的になってしまうからです。
そのうち、
自分の感情が分からなくなり、
自分を追い込むことでしか
生きている実感が得られなくなったのが
今までの私です。
あなたも「救われたい人」になっていませんか?
「ただ生きる」ことを
自分に許せていない人、
そのために
宗教にはまってしまって、
「救いたい」
とか言っている人。
そんな人が、
あなたの周りにもいませんか?
もしあなたが
「目を覚ましてほしい」
と思うなら、
こんな質問をしてみてください。
「本当はどうなりたいの?」
もし私と同じように
漠然とした生きづらさを抱えて
心の奥では
「救われたい」
なんて思っているとしたら、
この質問への答えが見つからず
返答に困るはずです。
それでも、
問いかけ続けることで、
自分がどれだけ依存的な考え方をしているか、
気付くことができます。
あなたの友人が
自分の気持ちに気付くきっかけを
得てほしい。
そんな思いでこの記事を書きました。
宗教活動を本当に楽しめているなら、
それはそれでいいと思います。
でも、
どこか強迫観念のようなものに
追い立てられているとしたら、
気付いてもらいたいのです。
自分自身を
もっと愛してあげる方が
生きやすいことに。
私も最近気づいたのですけどね。
そして、あなたも
「救われたい人」
になっていないでしょうか?
どこかの誰かが
友人の目を覚ましてくれる
なんて考えていませんか?
そんなの神様に祈ったって駄目です。
自分が救いたい人は自分で救う。
そんな気持ちを持ちたいですね。
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