お元気ですか、かにかまです。
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宗教や自己啓発に
依存的になっている人が
あなたの周りにもいませんか?
「宗教や自己啓発、
それら自体は悪くないと思うんだけど、
人に勧めてくるの、うざい」
その気持ち、今なら分かります。
はまっていた当時は、
良かれと思って勧めていたわけです。
どうしてはまるの?
抜け出す方法は?
この記事では、そんなことを
私の経験に基づいてお伝えしますね。
自己啓発にはまるのは無宗教だからではない
テレビでマツコ・デラックスさんが
言っていたようです。
「日本人が自己啓発にはまるのは
無宗教だから」
と。
なるほど。宗教の代わりに
自己啓発の法則なんかを
信じるのですね。
頼るべき教えがないと、
人は人生に迷ってしまう。
哲学者サルトルのいう、
「自由の刑」
から逃れるためです。
では、宗教を信じていれば
自己啓発にはまらないのか、
というとそんなことはありません。
私が両方はまったわけだし、
ナポレオン・ヒル、ジョセフ・マーフィー、
デール・カーネギー、ジグ・ジグラーなど、
自己啓発のメジャー所も
イギリスやアメリカのように
キリスト教国です。
宗教のあるなしは、
自己啓発にはまるかどうかに
あまり関係がなさそうですよね。
では、何が自己啓発にはまる原因なのか
考えていきましょう。
人は「正しい生き方」に縛られている
あなたの心の中にも
「正しい生き方」像がありませんか?
例えば、以下のような。
- 家族仲良くしなければいけない
- 人を殺してはいけない
- 世の中の役に立たなければいけない
- お金儲けに走ってはいけない
- 人には親切にしなければいけない
- 若い時には苦労しなければいけない
これらは、社会秩序を保つために、
役立ってきたことかもしれません。
ですが、生き方が多様化してきた現代、
今までの「正しい生き方」は
疑われてきています。
成長するにつれて、今まで履いていた靴が
合わなくなっていくようなものです。
「じゃあどんな生き方がいいの……」
依るべき考え方を失った時、
人は自由の恐怖を知るのです。
自由は怖い
昔の人たちも、
「自由は怖い」
と言ってきました。
ただ、その怖さを実感するのは、
自由に直面してみないと
難しいかもしれません。
例えるなら、
砂漠に一人残されて、
「どこへでも好きなところへ」
と言われるようなものです。
おそらく多くの人は
途方に暮れるのではないでしょうか。
そんな時、
案内標識や、人が歩いた道が見えると、
そちらへ歩きたくなりませんか?
「どう生きるのか?」
に悩んだ時、宗教や自己啓発は
希望の道のように見えるのです。
かにかまが見た希望の道
私が「希望の道」を見つけた時の感覚は、
「かっこいい」
というあこがれでした。
本を読んで、
「こんな生き方がしたい」
とか、家に訪れた先輩を見て
「こんなふうに生きれたら」
と思ったことがはまったきっかけの
ひとつです。
あなたにも「あこがれの人」が
いませんか?
だれにでも、あこがれの存在って
多少なりともあると思うんです。
私の場合、
あこがれた対象が「たまたま」
自己啓発や宗教だった、
ともいえるかもしれません。
もしあこがれた対象が、
音楽家や科学者、
Youtuberだったりしたら、
もしかしたら今とは違う人生に
なっていたかもしれません。
あなたの大切な人が
何かに依存的にはまっているとしたら、
「どんな生き方にあこがれているの?」
と聞いてみることは、
その人を理解するのに役立つでしょう。
ただ、
「あこがれる気持ち」の奥に
どんな感情があるか
を知らなければ、
依存から抜け出すことは
できないかもしれません。
宗教や自己啓発にあこがれる気持ちの奥にあるもの
私の場合どんなものがあったのか、
考えてみました。
- 正しい生き方をしたい
- 人から賞賛されたい
- 人より賢くなりたい
- 人を幸せにしたい
- 世の中の法則を知りたい
これらの気持ちは、
化学や心理学を勉強するという、
他の行動にもつながっています。
ただ、宗教や自己啓発に
はまった本質的な理由は
たったひとつだと思います。
それは、依存的な心です。
依存的な心は、
宗教や自己啓発なしでは、
上記の感情を満たせない
という思いで成り立っています。
が、はまっている最中には
気付けないものです。
それは、依存的な心が
無自覚に形成されているからです。
私の場合は、おそらくなのですが、
幼少期の体験から、
「〜してはいけない」
という禁止令をもっていたからです。
「自分の好きに生きたらいい」
といわれて、何が自分の「好き」なのか
分からず苦しんでいませんか?
強い禁止令をもっていると、
自分の「好き」に気付くことができません。
かにかまが宗教をやめた時
依存的な心を持ったままでも、
宗教をやめることはできます。
私が宗教をやめたきっかけは、
・先輩からの一言
・他の人との比較
です。
当時私は、
組織のリーダーをしていましたが、
どうにも活動にやる気が出ません。
そこで、先輩がカツを入れるために、
いいました。
「かにかまは本当はどうなりたい?
何をしたいんだ?」
偉そうにいいやがって……
と思うと同時に、
その質問の答えを探りました。
自分の中で、
答えは出てこなかったのです。
少なくとも、
宗教をやっていくことではないな、
と思い、やめました。
やめるための手続きなど特にありません。
音信不通になるだけです。
人との縁なんて、
簡単に切れてしまいます。
もうひとつのきっかけは、
周りとの比較です。
同じ活動をやっていても、
すごく幸せそうに
やりがいをもっている人もいます。
「みんなのように、
心から信じることができない」
という思いも、
やめるきっかけでしたね。
時には周りと比較することも
自分の気持ちを知るために役立ちます。
宗教や自己啓発をやるかやらないかは大した問題ではない
それまで信じていた宗教をすてて、
どうなったか。
私は、「自由の刑」に処せられました。
「答え」を知りたくて、
迷える子羊になってみたり、
自己啓発教材を買ってみたり、
友人のすすめる宗教に入ってみたり。
それらは何も解決策になりませんでした。
依存的な心が変わらないからです。
宗教や自己啓発で、
「幸せになった」
「成功した」
という人がいる一方で、
「何も変わらない」
という人がいる。
結局、やるかやらないかは
大した問題ではないのだと思います。
大切なのは、どんな想いを持って
やっているのか。
依存的になっていないか。
では、依存的な心を改善するには
どんな方法があるのでしょう。
私の考えをお伝えしますね。
依存的な心を改善する方法
ひとつは、とことんやってみることです。
できればリーダーポジションになるまで。
どんなことでもリーダーになると、
依存的な心では苦しいからです。
苦しむことによって、
自分が依存的かどうかを知ることができます。
自分の感情に目を向けておきましょう。
もし宗教団体のリーダーになって、
苦しむことがないのなら、
それは私には選択できなかった
すばらしい生き方です。
ここで注意点は、
「性格悪くてもいい」
と自分に言い聞かせることです。
お人好しのままでは、
音信不通になったり、
お断りしたりがしにくいでしょう。
それだと、自分が本当は苦しんでいても
気づけないかも知れません。
もうひとつの方法は、
「本当はどうなりたいのか?」
という問いを、
繰り返し自分に問いかけることです。
自分の気持ちを知ることで、
依存的な心が少しづつ
改善されていくでしょう。
おわりに
宗教や自己啓発にはまること自体が、
悪いことだとは思いません。
幸せになれる人もいるでしょうから。
ただ、依存的な心で取り組んでいるのなら、
とても苦しいはずです。
あなたの大切な人は苦しんでいませんか?
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